Gaia〜prologue〜 W.kimura  ヒトが同じ星に生きる命の半ばを道連れに 滅びてから、二億三千万の月と太陽が登り、 また沈んだ。  それだけの時の果てに、ヒトの手に痛めつ けられた地球は再び生命を受け入れる器を整 えた……そうすることが地球という命の生き 方であるかのように。  その間に、そこに共生する生命たちはいく つかのささやかな隆盛と、また淘汰という滅 びを繰り返していった。  大地はいくつかの危難を越えて、次の知的 生命体の時代を迎える。  自らをロムと称するその知的生命体は、か つてヒトの破滅と運命を共にすることのなか ったほ乳類の一種が進化を遂げたもの。  かつてヒトは、ロムの原種にあたるほ乳類 を「ねずみ」と呼んでいた。そのねずみから の進化の過程はいまだ多くの謎に包まれてい るが、ロムという種の始まりから終焉までの 長い歴史の中で、長らく謎とされ続けたこと がある。  それは…… 「マスター! 俺の銃、できてる!?」  辺境の町にある小さなガンショップには、 外に出して飾られている銃はほとんどない。 知らない者が足を踏み入れても、ディスプレ イはおろかテーブル一つなく、ただ奥にカウ ンターだけがある店構えからは、何の店だか すぐにはわからないだろう。  だがそこに扉の鈴をにぎやかに鳴らして駆 け込んできた少年は、その店のことはよく知 っているようだった。  ガンショップのマスターも店に飛び込んで きた少年を見た。  それが冒険を夢見る馴染みの少年であるこ とは、顔を見なくても明らかだったが。 「ディー、ライセンスは?」 「取れたよ!」 「見せて」  店のマスターはディーに向かって手を出し た。そこに銀のメダルが一枚置かれる。  少年ディー・クロウの手から渡されたメダ ルを、マスターは丹念に裏表確認した。 「よし、本物だ」 「ひどいや、マスター。疑ったのかよ!?」  指に弾かれて飛んできたコインを空中でと らえ、ディーは頬をふくらませた。  長い尻尾がいらついたように、マスターが いるカウンターを叩く。 「怒るなよ。いくらシティから遠い辺境の店 だっていっても、許可証のない奴には売れな いんだ。誰に売るときだって同じように確認 するんだぞ。変なのに売ってそれがばれたら、 まずこっちが保安官のお世話になるんだから な」  マスターは話しながら、ケースにしまって あったディーのレベルにあった麻酔銃を取り 出した。  初心者向けの威力の弱いものだが、ディー の手に合わせて調整されたものだ。 「これで……!」  少年が瞳を輝かせるのを、マスターは渋い 顔で眺める。 「そんなに甘くはないぞ。単独では草原に出 て行くなよ。ま、しばらくは修業を積むこっ たな」  ちぇ、と舌打ちして、それでもディーはマ スターが続いてケースから出した皮のホルス ターを腰に巻く。そこに銃を納めると、いっ ぱしのガンマン気分だ。 「とりあえず弾はこれだけでいいな。無駄遣 いはするなよ」 「しないよ! まだ遠くにも行かないしさ。 手近にまだまだ、行ってないところがあるも ん」  これから早速ローズガーデンに行くのだと、 ディーは頬を紅潮させた。 「ローズガーデン?」  マスターがぴくりと大きな耳を向けたのを 見て、ディーはさらに勢い込む。 「銃が手に入ったら、リットが入口まで案内 してくれるって約束してたんだ」  リットというのはディーの友達だ。マスタ ーもディーの口から、時折その名を聞いてい た。  リットは古くからこの周辺を巡る遊牧民の 一族の少年で、町育ちのディーより、もちろ ん草原に詳しい。 「俺、絶対ローズガーデンにはもっと奥があ ると思うんだよ。まだ荒らされてない遺跡が きっとあるよ!」  ローズガーデンは、草原の外れ、山裾にあ る古い遺跡だ。  遺跡としては比較的状態がよく、地下にも ぐっていけるような場所もある。  その中心部には野薔薇がはびこっていて、 うかつに奥まで入るとひっかき傷だらけにな る。だが初夏と秋には一面に色とりどりの花 が咲いて、それは誰もが息を飲む美しい光景 だ。だから、『薔薇の庭』と名付けられた。 「もしかしたら、あそこに何かすっごい宝物 が眠っているかもしれない。たとえば……」 「たとえば?」  うっ、とひるんだディーの顔を見て、マス ターはあごを撫でながらにやにやと笑った。 「何を探すのかも知らないで、一攫千金とは いい夢だな」  元々興奮で紅潮していた顔に、更に朱が入 ってディーは耳も首も真赤になる。 「これからちゃんと勉強するよ! マスター はこの辺の遺跡のこと知ってんの?」 「ちょっとだけな。こないだ来た、考古学者 って触れ込みの奴がいってた」 「何? この辺掘ってるの? どんなものが 出るとかいってた?」  ディーがカウンターの上に乗り上がるほど 身を乗り出すと、マスターはその鼻の頭を指 で弾いた。 「なんだ、自分で調べるんじゃなかったのか」 「ケチ!!」  カウンターから降りてディーがそっぽを向 くと、マスターは大声で笑う。  ディーがわかりやすい反応をするから、マ スターにもからかわれるのだろう。 「この辺は、一帯をトーキョー文明遺跡群っ ていうんだってさ」 「トーキョー……?」  他の大陸から渡ってきたその考古学者は、 この辺り一帯には高度な文明の遺跡が残って いるはずだといっていたのだと。 「どっか別のところで掘り起こした遺跡から、 そういう文献が出たんだとよ」  そういって床を指す。 「『ヒト』の文明が栄えていた頃には、この 辺りは広大な面積が都市だったらしい。この 辺の首都だったんだと。この下にも遺跡はあ るっていってたぜ」 「この下にも!?」  ディーが驚いて尻尾をピンと立てるのを、 マスターはまたにやにやと見る。 「床板を引っ剥がされちゃたまんないから、 考古学者殿には早々に退散していただいたけ どな」  え〜! とディーが残念そうに声をあげる。 「ヒトの遺跡はそれこそ世界中にあるってい うんだから、そりゃあここだって深くまで掘 り起こせば何か出るかもしれないが、手当た り次第に掘ればいいってものじゃないぞ」  おいおいとマスターは苦笑いを浮かべた。 「地殻変動で砕かれていない丸のままの遺跡 じゃないと、金にはならないんだから。井戸 より深く掘るのに当てずっぽじゃダメだぜ」  ぽかんとディーは口を開けている。 「……ローズガーデンは上に出てるじゃん。 あれは? あれはヒトの遺跡じゃねぇの?」 「その考古学者にもいっておいたがな、あり ゃ違うだろ。二百年前の戦争の遺跡だと思う がな」  マスターは首を振る。何も知らないな、と 笑いながら。  遺跡には二種類あるのだ。『ヒト文明』の 遺跡と『ロム文明』の遺跡。  ヒト文明は六十五万年前に滅びたヒトとい う種族のもの。多くは深い地層に存在し、ま た滅びてからの長い時の間には大きな地殻変 動がいくつもあったらしく、掘り起こすのに は大変な困難がともなう。  ロム文明は、今この町にも住む者と同じ種 の、ご先祖様の文明だ。ロムも二百年前まで は、もう少し豊かで、発達した科学の恩恵を 受けていた。その片鱗は、都市部には残って いるところもある。  だが残念ながら、二百年前に種そのものが 滅びに瀕するような戦争があって、各地の文 明のほとんどが後退してしまった。  辛うじて生き残った者たちのいくらかは懸 命に科学技術を取り戻そうとしたが、都市部 ほど戦争のダメージは大きく、完全に失われ た技術も多かった。  そして当時は滅びを招いた科学技術を厭い、 封じようとした風潮もあったらしい。 「その考古学者も、ローズガーデンのことは 聞いてたがなあ……あれは外れだろうよ」 「……そうなのかな。この辺って二百年前も 町があったの? 開拓されたのは、最近じゃ ないか」 「二百年前は、やっぱり今とは比べものにな らないぐらい広い範囲が都市だったっていう 話だからな。この辺にだって多少は住んでた ろうさ」  そこでディーは口を真一文字に結んだ。少 し考え込む。 「……ありがと、マスター! 俺、やっぱり ローズガーデン行ってくるよっ」  そいつに先越されたら悔しいじゃん、と入 ってきたときと同じ騒がしさで、ディーは出 て行った。 「……リット」  低い位置から囁くように呼ばれて、リット はその呼び声の主をキョロキョロと探した。  都市部に住む者や、そこから来た開拓民た ちよりも、毛深い顔に丸い瞳をくりんと見開 いて。 「リット」  もう一度呼ばれて、リットはやっと茂みの 下から顔を覗かせている友達に気がついた。 「ディー? 何してるんだい、そんなとこで」  困惑する友達の顔を見上げつつ、ディーは ずりずりと茂みの下を這いずって抜け、木の 葉だらけの体を起こした。 「そりゃ俺の台詞だって。何してんだよ、こ んなとこで」  座り込んだまま、ちょっと頬をふくらませ て、尻尾で地面を叩いている。  ディーがすねていることはリットにも見て とれた。 「……ごめん」  リットに素直に謝られると、ディーもそれ 以上怒るのは子供っぽいような気がした。ま だ頬に不機嫌さを残しながらも、ディーは 「仕方ないけどさ」  と目を伏せる。 「もう来週すぐに、草原を南に下るんだ。そ の前に、ラナの薬を買って行きたくて」  季節が巡ると、遊牧民の彼らは移動してい く習慣だ。  冬は南の暖かい土地へ。夏は北に上る。こ の開拓民の町アルグはその途中にあって、初 夏と秋に遊牧民が近くを通り抜けていく。  初夏には春を追うように、秋には冬に追わ れるように、まさにそれは野薔薇の庭が咲き ほこる頃……  リットの妹は遊牧の民としては体の弱い子 供で、よく熱を出す。いい薬があればすぐに よくなるものだが、リットたち遊牧民は、欲 しいと思ったときに薬が手に入ることは多く ない。  町に近づいた今のうちにと思うのも仕方の ないことだと、ディーもわかっていた。  だから、ディーとの約束があったのに、先 に考古学者の一行をローズガーデンに案内す る仕事をリットが引き受けたというのも、仕 方のないことだとわかってはいたのだ。 「ごめん、ディー」 「ラナに免じて勘弁してやるさ」 「……ありがとう」  その代わり春には草原を目一杯案内しても らうからな、遠くまで行くぞと、ディーは笑 った。 「ところで、考古学者のキャンプって」  それから、ディーは改めてキョロキョロと 辺りを見回す。  ディーは、他州の大学から来た考古学者の 一行は、町外れにテントを張っていると情報 を仕入れてきたのだ。そのときにリットが案 内を引き受けたことも聞いた。  そのリットがいるここが考古学者のベース キャンプの場所であろうと思うのだが、見え る範囲には雨でも降ったら流されそうなオン ボロテントが一つあるきりだ。 「シーサ博士のテントはあれだよ」  と、リットはやっぱりオンボロテントを指 さした。  その指の先を視線で追って、ディーは複雑 な表情を見せる。 「テント一つってことはないだろ?」 「博士の他には学生がいくらかと、娘さんだ から……一つじゃちょっと狭いかもしれない な。でも、他には持ってきてないみたいだよ」 「ちぇ、ちょっとがっかりだな」 「なんで?」 「もっとおっきい探索隊なのかと思ってたん だ」  それだったら、先を越されても諦めがつく かなと。  少し気の抜けた顔で、ううんとうなる。  自分の考え違いに気を取られていたので、 ディーはリットの視線の動きに気がつかなか った。 「お友達ですか?」 「わあっ!?」  座り込んだまま、器用にディーは飛び上が った。  ふらふら近づいてくるシーサの姿に気づい ていたリットは、落ち着いてうなずいていた が。 「この町に住んでいる友達だよ、博士」  シーサは草の上に座って話をしている少年 たちを上から覗き込むように、屈み込む。 「そう。君も草原には詳しいんですか?」  ドキドキしながらディーは逆光の中に、そ の都会的にあかぬけた考古学者の顔をまぶし そうに見上げた。  まぶしいのは、逆光のせいだけではないか もしれない。ディーにとってはトレジャーハ ンターと考古学者の境目は曖昧で、遺跡を掘 り起こす彼らはライバルであると同時に憧れ でもある。 「……いいや、全然さ。父さんも母さんも銃 のライセンス取るまでは、草原に出ちゃダメ だっていうから」  でももう銃のライセンスは取れたんだぜ、 とディーは勢い込んだ。  リットも初めて聞いた報告に、驚いたよう に黒目がちな目を見開く。 「おめでとう……そうか、取れたんだ。じゃ、 本当に悪いことしちゃったね、約束してたの に」  リットが耳を力なく伏せると、事情を知ら ないシーサは首を傾げる。 「どうしたの?」 「僕、約束していたんだ。ディーが銃のライ センスを取ったら、ローズガーデンの入口に 案内してあげるって」 「なるほど、私がその約束を先取りしちゃう んですねぇ」  もういいよと、ディーはいった。  なんだか逆に、バツが悪いような気がして。 「やっぱり、草原を行くのに麻酔銃ぐらいは 必要でしょうかね。銃器店のマスターには、 ライセンスがないとダメって断られちゃった んですが」 「ライセンスないとダメだよ、絶対売ってく れないんだぜ」  ガンショップのマスターがいっていた話を、 ディーは思い出す。  考えてみれば、本当なら考古学者がガンシ ョップを訪ねるというのは、少し奇妙な話だ。 「どうして銃なんか買いにいったのさ。一緒 に来てる奴も、誰も持ってないのかい」 「はあ……誰も。元々多分、都市のほうが管 理が厳しくて持ちにくいせいだと思いますが。 私も今までは、銃にはあんまり興味がなくっ て、詳しいことはわからないんですけど」  まだ若いようにも見えるシーサ博士は、子 供みたいにディーたちと同じように、すっか り草の上に座り込んで話し始めた。 「いつもは危なそうなところに行くときは、 ボディガードみたいな専門の方を雇ったりす るんですけど、今回は予算が足りなくって。 せめて自分で持とうかなって思ったんですけ どねぇ」  思って、その足でガンショップに行ったら しい。  遊牧民のリットのように町とは違う自分た ちの法の下に生活しているわけではないのだ から、銃を持つのにライセンスが必要なこと ぐらいは知っていてもいいはずだろうと、デ ィーは思う。  この博士は、どうも一本ネジが外れている 感じがした。 「大丈夫だよ……ローズガーデンのほうには、 危険な獣はあまりいないから」  リットがそういうと、シーサはパッと表情 を明るくした。 「そうですか! それは良かったです。ボデ ィガードを頼む予算はもうないし、どうしよ うかと思っていたんです。自費じゃ、やっぱ り限界がありますね。ついてきてくれる学生 さんもすっかり減っちゃって」  そうしてシーサは、ほう、とため息をつく。 「みんな、信じてくれないんですよ」 「何を?」  二名の少年は、すっかりシーサの愚痴を聞 くような態勢だ。  このなつっこい、しかし恵まれてはいなさ そうな博士の身の上話には、少し興味をそそ られるところでもあった。 「いやね、ちょっと前まで私、別の大陸から 出てきた古文書の解析をしていたんですが」  シーサのほうも聞かれるままに喋るので、 話はとめどなかった。 「そこから読み取れたことを先日の学会で発 表したんですが、これが全然相手にしてもら えなくって。だから大学も、もう発掘にお金 を出してくれなかったんです」 「誰も信じてくれないって、そんなに変なこ とをいったのか?」 「そんなことはないと思うんですけど……私 は、読めた通りに発表したんですよ。そして それが本当なら、今世界中で起こっている生 態系の危機も、ひいては食料危機も、きっと 解決することができるのに……」  だからだ、と、ディーでも思った。  もう少し控え目に「できるかもしれない」 ぐらいの表現だったら、いくらか夢見てもい いかと思う者だっていたかもしれないのに、 と。  都市部の食料危機の事情は、ディーだって 知っているほど、深刻なものだ。  開拓民が都市を離れ辺境に町を造り始めた 理由も、そこにある。  二百年前の戦争で残った都市部周辺の土地 は次第に変質し痩せ、収穫が減っていった。 現在では、都市部だけでは需要に供給が追い つかない。  そしてディーが生まれる前ぐらいから、都 市は周辺地域の開拓を奨励し始めた。少しで も収穫高を上げるように……  都市にいても食料事情が悪いので、また成 功を納めた者は一躍金持ちにもなれたので、 貧しい者たちからどんどん外へ出て行き、開 拓に身を投じていった次第だ。  都市も食料確保のために、開拓民の援助と 保護には巨費を投じた。  食糧問題は深刻になったのは最近でも、長 年の課題ではあったはずだ。  それをいきなり「解決する」といったので は、疑われても仕方ない。 「いったい、何が書いてあったの?」  そのときはディーよりも、リットのほうが 興味津々の様子だった。 「宝物の地図ですよ」  ふふふ、とシーサは楽しそうに笑った。  眉唾なのはわかっていても宝捜しの旅に出 たいディーには、それは聞き捨てならない話 だ。 「それが……ローズガーデンなのか?」 「そうと、決まったわけではないんですけど ね。なにしろ地形がだいぶ変わってしまって いて。この辺は多分、六十万年前までは島だ ったはずなんです。でも、今はすっかり内陸 だし」  シーサは照れたように笑う。 「この辺のどこかじゃないかと思うんですが ……案内してもらうローズガーデンは、この 辺では地上に出ている一番大きな遺跡だから、 最初はそこにしようかと思っただけなんです」  ディーはその自分に勝るとも劣らない、い いかげんさに肩を落とした。 「ちぇ……そんないい加減でいいのかよ」 「地図も文書もかなり欠けていて、『生命の ゆりかご』が本当にここにあるという確証は ないんですよね。他の土地かもしれません。 でもここら辺りに何か埋まっているのは、や っぱり確かなんです。それが同じもののこと を指していると、繋がればよかったんですが ……それは遠い時を隔ててもう一度掘り起こ すために、わざわざ遺すために、ヒトが埋め たものなんです……見つかったら本当に大発 見なんですよ」  永い時の間には地殻変動も多かっただろう。 そのためにもう破壊されてしまった可能性だ ってあるけれど、遠い未来のために遺したも のなら、時の永さに負けないように工夫だっ てされただろう。  風化して崩れることも、地殻変動に巻き込 まれることも、きっと予測されていたはずだ った。それを乗り越えるために施された技術 は六十五万年以上の時に耐えて、もしかした ら無事に残っているかもしれない。  考古学者なんて可能性に賭けてばかりです と、シーサは屈託なく笑う。  でも、ディーにはそれを笑うことはできな かった。自分も同じ立場なら、可能性に賭け て掘りにいってしまうだろうから。 「その『生命のゆりかご』っていうのが、危 機を救う宝物なんだな」 「そうです。いったんこの星を滅ぼしかけて しまったヒトが、未来に遺してくれた贈り物 です」 「宝物なんだ……」  リットがうっとりとため息のようにつぶや いた。  ディーよりも、のめり込んでいるように見 える。  大変な財産です、と、にこにこシーサは笑 う。  話を聞いてもらえるのがそんなに嬉しいの だろうかと、そう思ったとき……ディーの視 界がわずかに陰った。  顔を上げると、いつのまにか女の子が厳め しい顔で立っていて、びっくりする。 「……お父さん! こんなところで座り込ん で、何してるの?」  不意の登場に驚く羽目になったのは、既に 本日二度目で、ディーも内心さすがに反省し た。  どちらのときも他に気を取られていたとは いえ、こんなに注意力散漫では、実際に冒険 に出た後が自分でも思いやられる。  もっと回りに注意しなくちゃと心に誓って、 改めてディーは女の子を見た。  シーサを父と呼ぶのだから、リットもいっ ていたシーサの娘だろうと。  巻毛を綺麗に整えた上品に見えるその少女 も、ディーを見下ろしていた。 「なあに……? まさか、お父さん、この子 も雇ったんじゃないでしょうね!? ダメよ、 もうお金ないんだから。それにボディガード って、銃を持ってればいいってものじゃない のよ」  自分の父親の世間知らずを知っているかの ように、少女は容赦なく父親を叱りつけた。  その言葉のとげにディーはムッとしたが、 他者のボディガードが勤められる実力ではな いことぐらいは自覚があるので黙っていた。  だが、当のシーサは少しもこたえていない 風情で、そうか、とあらぬほうを見て手を叩 く。 「君は銃を持ってるんですし、君についてき てもらうっていう手がありましたねえ」  娘の発言の、いったい何を聞いていたのか。 「お父さんたら!」 「一緒に行きたいのはやまやまだけど……や めとくよ。俺は、俺で、宝物を探すから」  だからこそ一攫千金だと、ディーはうそぶ いた。  ディーの口から否定されて、あからさまに 少女はホッとした顔を見せる。 「そうですか、残念ですねえ」  シーサが本当に残念そうな顔をしたので、 ディーは少しだけ気分が良くなった。  娘のほうは、眉を吊り上げていたけれど。 「そうそう、名のっていませんでしたね。私 はアル・シーサ。娘はハンナといいます。も しも『生命のゆりかご』を見つけたら、どう か知らせてくださいね」  トレジャーハンターの卵に、シーサはそう 頼んだ。  説明は途中で事実上中断していたので、シ ーサが『生命のゆりかご』といっているもの が本当のところなんなのかディーにはわから なかったが、それでもうなずいた。 「俺は、ディー・クロウだよ。俺が見つけた ら、安くは売らないからな」  それでも、シーサは笑って聞いていた。 「すごい野薔薇ですねぇ……それに、この音 はなんでしょうか」  ローズガーデンの近くにシーサ博士の一行 が着いたとき、野薔薇は秋の盛りだった。 「いつも聞こえているわけじゃないんだけど」  時々この近くでだけ、この奇妙な音は聞こ えるのだと、案内役のリットは説明した。 「なんだか、気分の悪くなる音ね」  ハンナは嫌そうに耳を伏せる。 「用さえなければ、逃げ出したいくらい」 「風の音ですかねぇ。どこかに反響してるの か、何か鳴っているんでしょうか」  きょろきょろとシーサは視線を巡らすが、 そんな音の出そうなものは近くには見当たら ない。 「シーサ博士、この先は……」 「やっぱり切ったらまずいんでしょうね。掻 きわけていくことになりますねぇ。みんな、 手袋はちゃんと着けてますか? こりゃあ、 本当に引っかかりそうなトゲだらけですよ」  いっているそばから、あいた! とシーサ が声を上げた。  トゲの長いものは、厚地の手袋も楽々突き 抜けるようだ。 「大丈夫? お父さん」 「あいたたた、これは大変ですね〜」  シーサは涙をにじませている。 「でも博士、奥への入口はあの塔の上だよ」  リットは砂避けのマントの下から手を出し て、奥に見えるこんもりと緑の一際濃い、小 山のような野薔薇の茂みを指した。 「塔? あれは塔なんですか?」 「ずっと、僕たちの部族では『花の塔』って 呼ばれてるんだ。きっと、ここにローズガー デンって名前がつくよりも前からだよ」  それは塔というほどの高さではなかった。  野薔薇におおわれて地がどうなっているの か、シーサたちの位置からでは見えなかった が、その最も高いところでも、高さはせいぜ い一階の天井ぐらいのものだ。 「そうですか。君たちの部族は、ずっとこの 辺りを遊牧しているんですよね……多分、戦 争よりも前から。だから、きっと昔は、あれ は塔だったんでしょう。ずいぶんと長いこと、 この野薔薇もここを守っているんですね」  いいながらまた野薔薇のつるをくぐって、 あいたたとシーサは声を上げる。 「どうしますか? 約束は入口までの案内で したし、この先は大変そうですから、君はこ こまででもいいですよ」  そして、思い出したようにシーサはリット を振り返った。  学生とハンナも、野薔薇と格闘を始めてい る。 「いいえ……あの入口の中までは案内するよ。 僕は一度、入口までは入ったこともあるし」 「入ったことがあるんですか! それは頼も しいですね。じゃあ、お願いしましょうか」  リットはそれに黙ってうなずいた。 「それにしても、ここを越えないとあの塔に はたどり着けませんが……大変ですね、これ は。君が前に入ったときはどうだったんです か?」  遠い記憶を掘り起こすようにゆっくりと、 リットは喋り始めた。 「昔来たときは、遊びのつもりだったから。 兄弟で競争だったんだ、誰が一番早く塔の入 口に着けるかって。妹が泣いちゃって、僕と 妹は兄さんたちに置いて行かれて。最後に入 口に入ったんだけど……」  そこで、リットは言葉を切った。 「そうだ、こっちのほうが少し歩きやすいん だ、博士。思い出した。あのときも、妹と歩 きやすいところを探して、大変だったんだ」  シーサはリットに手を引かれて、獣道のよ うなところに出た。  狭いけれど、つるがびっちりとははびこっ ていないので、他よりは確かに痛くない。 「ああ、これは助かります……この遺跡、一 応誰か入ったことがあるんですよねぇ」  誰かの足が踏み入れられている場所なら、 もう少しその形跡があっても良さそうだと、 シーサは辺りを見回している。 「あると思うけど……それはディーのほうが 詳しいかも。でも、どうかな、町では、あの 塔の上に入口があることを知らないから、他 のところから来た探検家も気がつかなかった のかもしれない。外側の余り野薔薇の多くな い歩ける部分だけ、見ていったのかもしれな いね」 「知らないんですか?」 「ディーは知らなかったよ。みんなそんなこ とは知らないっていって感動してたから、き っと知らないんだと思う」  外側はもう何もないと、リットはいった。  どうやら遺跡の外周部もいくらか地下に入 れるらしいが、それはもう探検家たちが何度 も足を踏み入れた場所だと。そしてそんな場 所には、きっとシーサの目的の宝物はないの だろうとも。  それはリットのいう通りだった。 「だから……案内してあげるよ。きっとまだ、 誰も知らないローズガーデンに」  そう迷わず先に行く少年の背を追って、シ ーサの一行は先に進む。  野薔薇の茂みを抜け、塔といわれる緑の山 にたどり着いた後にまた、それを登るという 困難があったけれど。 「塔ですか……塔というより、ピラミッド状 ですね。元は階段状……うーん、塔は塔だっ たのでしょうか。これはもしかして、塔の上 の部分だけが顔を出しているのですかね」  シーサが出発を告げると、ハンナたちは溜 め息をつきながらもその傾斜を登り始めた。 塔の外側に張り付くように。 「焼き払いたくなるわね」  ハンナが引っかかって破れた服を嘆いた。 「ダメですよ、そんなこといっちゃ。このあ たりにはまだ緑が残っていますけど、そうい う乱暴なことが、砂漠化を進めた一因でもあ るんですから」  シーサは真面目に娘のつぶやきをたしなめ る。  彼らが塔の上にたどり着くまでには、だい ぶかかった。  やはり先に塔に登り切ったリットはシーサ たちの到着を待って、ナイフを出した。  ……その顔がひどく真剣で、ハンナは恐怖 というほどではないものの……なにか不安を 覚える。 「入口がつるで覆われているんだ。ここはも う、切り払うしかない。前のときにも兄さん たちがそうしたから、開いてるかと思ってた んだけど……もう埋まってる。つるの成長っ て早いね」  そうですねぇとシーサはのんびり答えて、 リットがそれでいいなら切り払いましょうと いった。学生と娘に、内緒ですよ、と念を押 して。  つるはそれほどに堅くはなく、リットのナ イフで切りはらわれていった。すると、次第 に格子状の入口の蓋が、はっきり確認できる ようになる。 「わあ、本当に六十五万年前のものですかね ……ちゃんと原形で残ってるなんて。あんま りよく見てこなかったけど、周囲の部分もこ うなら、戦争前の遺跡だって銃器店のマスタ ーがいってたのもわかります。古く見えない ですね、全然」  多分興奮しているのだろう、シーサが饒舌 に誰にともなく話していた。 「さあ開くよ。これは乗ってるだけで、持ち 上げれば外れるようになってるんだ」  リットがそういって、蓋を持ち上げようと する。だが、さすがにリットだけでは上がら なかった。シーサと学生と共にようやく外し て、今度は中を覗き込む。 「はしごですね。深い……」  確かにかつては塔であったのかもしれない と、そう思えるほどに円筒の入口から下まで は遠い。  しかし、ならば、どうして入りにくいてっ ぺんに入口など作ったのかという疑問はあっ たが。 「これを降り切ったところまでは、危なくは ないよ。でも、そこから向こうは僕は知らな い」  僕が行ったのはそこまでだから、と。 「ありがとうございました。ええと、君は」 「僕は……ここまでで、いいかな」 「いいです、本当にありがとう。本当に助か りました。戻ったらもう少し、お礼をします ね」 「お父さん!」  前払い以上に払うつもりの父を、娘は叱っ た。  そしてシーサの小さな探検隊は、塔の中に 降りていく。  リットは、それをじっと見送った。  少女の悲鳴が響き聞こえ、暗い塔の中に白 色の灯が点るまで……ずっとそこで待ってい た。 「お父さん!」  降りるのが恐くて遅れてしまったハンナだ けが、はしごの近くに取り残されてしまった。  先に降りたシーサと学生たちは降りたとこ ろから、わずかな明かりが少し先に見せたホ ールに足を進めて、そして……その背後で、 はしごのあったところとの境目に、壁が急に せり上がった。振り返るのも、間に合わなか った。  ハンナだけが、壁に遮られて取り残されて しまったのだ。  壁が閉まった途端、塔の内部の光量が上が る。  どこが発光しているのかハンナにはわから なかったが、明るくなった塔の中で、ぼうぜ んと閉ざされた壁に近寄って触れる。  だが、それが再び動く気配はなかった。 「お父さん……」  どうにもしようがなくて、途方に暮れる。 「君だけ残っちゃったんだね」  頭上から聞こえた声に、ハンナは振り返っ た。 「……どういうこと!?」  ガイドの少年が、降りてくるのが見えた。  その冷静な言葉に、また急激に不安が広が る。 「あなた、知ってたのね!?」  こうなることを。  悔し涙を浮かべて、ハンナはリットを睨み 付けた。 「大丈夫だよ、そこで待っていれば、もう一 度開くから……計算違いだったな……見られ ないですむと思ったのに」  飛躍ともいえるハンナの考えは、当たった ようだった。リットはそれを否定しない。  はしごを降り切ったリットは迷わず、はし ごの真裏にある壁に触れた。  その壁が、先程ハンナを父親とはぐれさせ たときとは逆に、下がっていく。  開いた壁のその向こうにするりとリットは 入って、そこで振り返ってハンナにいった。 「こっちに来ちゃだめだよ。もうじき、ここ は閉まるから。そしたら、そっちの壁がまた 開くから。そして、ここの壁は開かなくなる から……僕と妹だけが知ってたんだ、ここが 開くこと」  前に来たときも兄たちは先にここに入って、 やっぱり壁が閉まって閉じ込められたのだと いう。  そして後から来たリットとラナが、壁が閉 まったときだけこちらの壁が開くことを知っ た。一度開いて、閉じると、最初に閉じた壁 がもう一度開くのだ。 「ここはずっと草原と共にあった。だったら、 草原の民が宝を手にしてもいいよね?」 「あなた、勘違いしてる! お父さんが何か 変なこといったのかもしれないけど、私たち が探してるのは宝なんてものじゃないわ。学 術的には価値があっても、簡単にお金に変わ るようなものじゃないのよ……!」  最後は、聞こえただろうか。  ハンナが最初に閉まるのを見たよりもゆっ くりと、壁はせり上がっていった。  その壁が完全に閉じると、今度はまたゆっ くりと塔の中の光量が落ちていく。元の暗さ に戻るまでには、しばらくかかった。 「うわあ……びっくりしましたね」  のんびりした父親の声が聞こえて、ようや くハンナはのろのろと振り返った。 「驚きました、この遺跡まだ生きているんで すね。今まで通電を続けてるなんて……」  シーサは緊張感がないどころか、うっとり と目を輝かせている。  ハンナは諸悪の根源を突き詰めればおそら くこの父だと、そのとき強いめまいを感じた。  根拠のない直感だったが、それは正しい。 「んもう! のんきに何をいってるのよ〜!!」  娘がかんしゃくを起こしているのを、シー サは不思議そうに見た。  こちらであったことを知らないシーサには、 一度閉まった壁が時間がたって、もう一度開 いたようにしか見えていない。 「そんなに怒って、何があったんですか?」  そのとき、カン、カン、と、頭上からはし ごを踏む音が聞こえてきた。 「おやぁ、君」 「あなた……っ」  見上げると、見知った少年がはしごを降り てくる。 「わ、まだこんなとこにいたんだ」  降りながら下を見て、ディーもシーサの一 行がそこにいることを見つける。 「あなた……! あなたもあの子の仲間なの ね!? ひどいわ、私たちをだまして、出し抜 こうっていうことだったのね!?」  ただ、ハンナが何を怒っているのかはわか らなかった。  それは、シーサも同じだったが。  はしごを降り切ったディーに体当たりする かのように責めるハンナを、シーサが止めた。 「何をいっているのかわかりませんよ、ハン ナ」  父親に説明を求められて、ハンナはリット との話をする。  その話の間、ハンナは後から来たディーを リットの仲間だと決めつけていたが、ディー はそれを否定した。 「そんな……リットがそんなことをするなん て」 「しらばっくれないで!」 「つけて来たのは悪かったけど、でも、俺が ここに来るのはリットにも話してないぜ。リ ットがそんなことするつもりだったなんてこ とも、知らなかった」 「見え透いた言い訳だわ」  興奮する娘をたしなめたのは、父親だ。 「決めつけているのは君ですよ、ハンナ。彼 は嘘をついているようには見えません。それ にここは誰のものでもないのだから、誰が来 るのも自由です。私たちも、ここに来るため に誰かに許可を取ったわけではありませんか らねぇ」  リットが、ここに入った自分たちがこの罠 にはまることを承知でいたのは間違いないだ ろうとも、シーサはいった。 「だから、ちゃんと出られるように助けにき てくれたんですよ、彼は」  助かりましたね、と父は娘に微笑みかける。 多分シーサが本気でいっているであろうこと は、ディーにさえもわかったけれど。  だが、おそらくこういう天然の家族を持っ たら普通はそうであるように、娘は逆上した。 「お父さんは良く考えすぎるの〜っ!!」  しかし落ち着きなさいとハンナを宥め、シ ーサは続ける。 「これは、生物をうかつに奥に入れないため の仕掛けでしょうね。そうか、表で聞こえた 音もそうですね。嫌な音で、追い払っている んですよ。この近くには危険な獣はいないと いっていた理由は、それでしょう。動物避け なんですね……施設を破壊されないように」  しかし不意に真面目な顔になって、先に行 ったリットは危ないかもしれないと、シーサ はつぶやいた。 「この遺跡はまだ動いているんです。どのよ うにしてかはわかりませんが、時を越えて、 本当に技術が失われることなく残っているん です」  どういうことだと、ディーは眉間にしわを よせる。 「ここが動くということは、警備のシステム が生きているという証拠です。侵入者を迎撃 するようなものもあるかもしれませんね」  聞いたとたんにディーはハンナにくるりと 背を向け、そしてリットが入ったという壁を 叩いた。 「この! 開けっ! リット……っ」 「ダメですよ、そんな方法では絶対開かない と思います。だから……」  シーサはハンナに、さきほど自分たちが閉 じ込められたホールに入るように命じた。 「お父さん、何を馬鹿なこと……!」 「リット君のいった通りだったら、こっちの 扉が一度開いて閉じたら、そっちはもう一度 開くはずです。確かに一度そのように動いて いるのだから、壊れない限りはまたそう動き ますよ。大丈夫。私はこちらに入って、リッ ト君を追いかけますが……」  シーサは、着いてきた学生を振り返った。  もしも扉がどちらも開かなくなったなら、 誰かを呼んできて扉を破壊するようにと頼む。 「そうですね、どうなるかわかりませんが、 3時間後にもう一度同じ方法で、こっちの扉 を開けてください」  父親の勝手な言い草に、ハンナは震えるよ うな怒りを覚えたが……息を一つ吐いて、諦 めた。それはもう、慣れていることでもある のだ。 「いいわ、でも、ちゃんと帰って来るのよ!」  そういって、ホールにずんずん歩いていく。 「……ごめん! ありがとう!!」  背中にかけられた言葉を聞いて、少しだけ 肩の力を抜いて、ハンナは声の主を振り返っ た。ディーを強い視線で見て、いう。 「ちゃんと連れ帰っていらっしゃいよ。出し 抜くなんて、卑怯なことなんだから、怒って やらなきゃいけないわ……それに、元はとい えば、多分お父さんが悪いんだから、お父さ んにも謝らせなくちゃいけないし」 「私、謝るんですか?」  シーサが首を傾げたので、ハンナは父親を 睨み付けた。 「お父さんが変なこといったから……!」  だが、最後までは聞こえなかった。  壁がせり上がり閉じて、ハンナの姿は見え なくなり、音は絶たれた。  また塔の内部は白色光に満たされる。 「……本当にこの遺跡は動いているのですね」  シーサの感慨深そうな言葉を聞きながら、 ディーはリットの消えた入口の前でそれが開 くのを待った。  手を伸ばし、触れると、壁が動き始める。 「行きましょう。何があるかわかりませんか ら気をつけて」  そして、シーサとディーが奥に入ると、そ の背中で壁は再び静かに閉まっていった。 『わたしたちの眠りを覚ましますか……』  何度それを意味する言葉をリットは聞いた だろうか。  目の前にいる耳の丸い尻尾のない少女は、 それを繰り返し続ける。  少女の姿は耳と尻尾の退化しきった都市の 民だといわれたなら、そうかとリットは信じ てしまいそうなほど、ロムに似ていた。  ……正確にいうならば、ロムのほうが彼ら に似ているのだろうが。  リットは最初に、土地の精霊だろうかと思 った。この遺跡を守って、侵入者をとがめて いるのだろうかと。  それは当たらずも遠からずであったが、そ れを正しく知りえる手段がリットにはなかっ た。  語られる言葉の意味を、リットは理解でき なかったからだ。  六十五万年前の言葉など、リットにわかる はずはない。いかに多様な言語で繰り返され ようとも……  いや、それが肉声であったなら、どんな言 語であってもリットには理解できたはずだっ た。  ロムの特徴の中には、微弱な精神感応があ る。言語という文化はあるが、言語が合わな くとも、概ね意志の疎通が可能だった。意識 の表面の、相手が伝えたいと願うことは読み 取ることができるし、伝えることができるか らだ。  だが、今は。  少女には触れることもできなかった。それ は少女が立体映像であるから。  そしてその声は記録音声であったから…… リットにはその意味するところは通じない。 「なんていってるんだよ……」  リットは途方に暮れるしかなかった。  ここに至るまでには、不思議なことに何一 つ障害になるようなものはなかった。  この突き当たりに来て、突然目の前にこの 少女が立ちはだかるまで。  少女は不意に現れて、そしてずっとわから ない言葉を紡ぎ続けている。  ときにやっぱりよくわからない身ぶりを交 えて。  そして少女の横には、空中によくわからな い光るものが浮いている。そこには、何か文 字らしいものと、図がくるくると映し出され 続けている。  ……それがスクリーンであることがわから ないのは、リットがそういう物に縁遠い遊牧 民だからだ。都市に住む者ならば、そのぐら いはわかるだろうか。  シーサたちを出し抜いてまで、ここに来た のに。どうしたらいいかわからないことに、 リットは自嘲の笑みを頬に浮かべた。  この奥にある宝を自分で手にしようと思っ たのは、ただ妹の体を直す薬に困らなくなり たかっただけだ。  それがどんな宝であるか、確かにリットは 知らなかった。だが、星を救えるほどの物な らば、リットのささやかな願いを叶えるぐら いはできるだろうと思ったのだ。  先に進んだのは賭けだったのだから。  賭けに負けたのなら……欲をかいた自分の 自業自得。  そのとき、ようやく初めて少女が動きを止 めた。 『まだ時は満ちてないのですね……お戻りな さい、地上へ』  繰り返されていた言葉が変わったことさえ も、リットにはわからない。ただ、目に見え るものが変わったことは、理解できる。  少女の他に、何か持った男たちの姿が現れ た。  男であることはわかる。やはり、その衣装 以外の部分はロムの男に似ていたからだ。デ ィーの持っていた麻酔銃よりも、もっと重厚 な金属の武器を手にし、それを掲げて…… 「わあっ!」  リットは飛び退った。  足元にパァンと弾ける音がする。  現れた男たちがボタンのようなひきがねを 押すところは、リットの視力の良い目にはは っきり映っていた。 「うわ……!」  次々に、リットの周囲の壁と床で弾ける乾 いた音がした。  逃げなくては! と、銃口から逃れながら 視線を巡らす。  先の道は閉じられたままで、進むことはで きない。  無論、ただ戻っても入ってきた壁は開かな いだろうとは思う。追われたら逃げ路はない。  もうだめか、とリットは目をつぶった。  これこそが、自業自得だ。罪には報いがあ る……その報いが、今降りかかっているのだ と。  そのときのことだ。 「リット!」  不意に、そして予想外の声に呼ばれて、リ ットは息を飲んだ。  振り返るよりも早く、ディーに突き飛ばさ れる。 「この馬鹿っ、何やってんだよ!」  部屋の隅まで転がるように移動し、ディー はリットにおおいかぶさるようにして、庇う。 「ディー! だめだ、君が」  振り返りざま、腰の銃を抜いて、ディーは 男を狙った。  相手の銃口が、自分のほうに向いているの はわかっていたが。 「やめなさい、ディー君、弾がもったいない ですよ〜」  だが、その間に走り込んできたシーサのた めに、ディーはひきがねを引き損ねた。 「シーサ博士!」  向こうの弾はシーサに当たった、とリット とディーは青ざめる。 「シーサ博士……僕は、あなたを裏切ったの にっ」  リットがディーの後ろから起き上がって駆 け出していく。  だが、シーサは平然と 「私なら、大丈夫ですよ」  そう笑っていた。 「……当たってねぇのか?」  注意深くディーも近づいていくと、シーサ は更に、まだ銃を構える男の前までどんどん 歩いて、そのいる場所に手をかざした。  手はその場所に重なると見えなくなる。 「ほら、これはホログラフですから、実際に 攻撃があるわけじゃありません。音がしてい たのは、映像の動きに合わせて、その場所で 鳴らしていたんですよ。威嚇ですね、いかく ……他の仕掛けと同じ動物避けでしょうねー」  シーサは、い〜と自分の頬をひっぱって、 威嚇のポーズを取る。  その顔の奇妙さに気が抜けて、ディーは銃 を持つ手を下ろした。 「ディー……どうしてここに」  追ってきたのだということは、わかってい た。  シーサは来るかもしれないと思っていたけ れど、ディーが来ることはリットは考えてい なかった。  一度はもう二度と会えないことも覚悟した から、それは言葉にならないほどの感慨だ。 「おまえが馬鹿なことするからさ」  だが、すぐにリットは罪の意識を取り戻し て俯く。  俺もおまえのことはいえないけど、とディ ーが続けたのは、耳に入っていない。 「ごめん、僕……シーサ博士、ごめんなさい」 「別にそんなに謝ることはありません。君は、 ここへの道を教えてくれたのですから」  まだ映像の前に立ったままで、シーサは微 笑んでいった。草の上に座って話し込んだ、 あのときと変わりない笑顔で。 「僕は宝物を独り占めしようとしたんだ」  だから余計に辛くなって、リットは懺悔す る。 「ああ、ハンナがいっていたのは、それです ね……それは私が悪かったようです。私の探 している宝物は、そもそも誰かが独り占めで きるようなものではないんですよ」  それに、と、シーサはスクリーンに近づい た。  その流れる文字を注視する。  そのかたわらで、映像はまた変化を始めて いる。シーサとディーという新しい訪問者を 認識したのか、少女は最初に話しかけていた 言葉に戻っていた。 「ここは……どうやら、私の探していた場所 ではないようです。ここは、そう、生命のし とねなのですね。ゆりかごではないのです」  生命のしとね、というまた聞き慣れないよ うな言葉に、ディーとリットはシーサの顔を 見る。 「……つまり宝物はここにはないんだってこ とだよな。なら、もう帰ろう、リット。なあ、 あんたもこいつを勘弁してやってくれるだろ う?」  ディーはリットの罪の許しを改めてシーサ に確認する。 「あなたには、この子が何をいっているのか わかるの?」  だが、ディーが呼んでも、リットに問われ ても、シーサは振り返らなかった。  スクリーンを見つめたまま、答える。 「音声の内容はわかりません。でも私、文字 の解読は少し出来るんですよ。この間まで、 古文書を解析していたといったでしょう。す べてがわかるわけではありませんが……そう、 ここには私の探していたものはありません。 でも」  そこでやっと、シーサは振り返った。 「ここには別の宝物があるようです」  そういって、リットに微笑みかける。 「私の探している『生命のゆりかご』……か つて六十五万年以上前に滅びた多くの種の、 種子が保存された場所に劣らぬ、きっとかけ がえのない宝です」  ここに六十五万の遠い遠い時を超えて、野 薔薇と塔に守られて目覚めの時を待っていた ものは……と。 「わからなかったといっても、君が最初に見 つけたことに違いはありません」  そこの壁にある青いボタンを押しなさい、 とシーサは少年たちに命じた。  薄暗い中に、壁にいくつかボタンが並んで いるのを少年たちは見た。  その中で、だいぶ高い位置に青いボタンが ある。  戸惑い怯えるリットを見かねて、ディーが 先にそれに手を伸ばした。  そして、青いボタンがかちりと鳴って、光 を放ち始めると……ここまで喋り続けていた 少女の映像が消えた。  まだ、変わらず薄暗い中に、静かに、しか し全体に響く音が、聞こえる。  そのうなりは次第に高くなっていった。 「さあ……この星の先人たちが目覚めます」  シーサの言葉が何を示すのか、まだディー とリットにはわからなかった。  閉じられていた正面の壁が、横にゆっくり と開いていくまで。  そこから漏れる光は、雲間から降り注ぐ光 のように神々しく、少年たちを照らし出した。  まぶしさに目を細めると、その開いた扉の 向こう側に、先程映像として彼らの前に立っ た少女の姿が見えた気がした。  ただ、それは透明の無数の柩の中の、一つ に。  柔らかな光に包まれて、たくさんのカプセ ルが浮かび上がる。  その柩一つ一つが、凍れる羊水の中に永い 時を眠る人々を抱いていた。  その中に眠る人々の姿はロムに似て、そし て時を超えてなおその形を失うことなく、そ こにある。  そして。 「あ……あなた……たち……が?」  最初に目覚めた少女の唇が、羊水の中でゆ っくりとそう古い言葉を紡ぐまで、少年たち はそこにいた。  ……それが彼らの初めての邂逅だった。  新正歴200年、秋。  トーキョー文明遺跡群内、ローズガーデン 遺跡にて、コールドスリープで絶滅の危難を 逃れたらしい旧人類が発見されたと発表され る。  数千にものぼるコールドスリープポッドの 中で六十五万年の間眠っていた者たちには、 記憶障害のある者が多かったが、ほとんどは 無事蘇生を果たした。そしてまずは、近隣の 都市に保護されたという。  そして彼らの姿は、専門研究家以外には驚 きをもって迎えられた。異なるほ乳類から進 化を遂げたとは考えられないほどに、ロムと 彼らは酷似していたからだ。  ……創造主は、自らに似せて人を造りしと 云う。