■ハプニング・ハンティング■

●ことの起こりは
 夏を越えてからは、カレンとジークが恋人同士であることを、その周囲にいて疑う者はいないだろう。本人たちもそのつもりで、その認識に乖離はない。
 そして恋人であれば普通のことだが、カレンはジークの望むものを探しているらしい。恋人の願いを叶えてあげたいとか、喜ぶ顔が見たいというのは、多分やっぱり普通のことだとは思われる……彼女の育ちの特殊性をさっぴいて、ということにはなるが。
 ただカレンはそういうことには不慣れであるのか、具体的にジークに何をしてあげれば良いか、普通の恋する女生徒のようにはテンポ良くは浮かんでこないらしい。一つのことでもあれやこれやと悩んで。……そしてそれも、そんな話の中の一つだった。
 それは多分普通の、少し普通でない、やや刺激的な恋人たちの初めての遠出のデートの日の話。

 細かな経緯は端折るが、カレンがジークに手料理を作ったら嬉しいかどうかから始まったその話は、何を作るかというところに行き着くまでに、かなりの時間がかかっている。こと料理に関してはジークのほうが明らかにカレンより腕が上だということも、カレンを迷わせた。彼氏が作ったほうが、確実に彼女が作るより美味しい物が出来上がる……となれば、手料理を作って食べさせるのは躊躇うに違いない。
 しかも最初には、ジークは
「カレンの得意料理がいい」
 と答えて。あまり料理が得意とは言えないカレンを、こっそり困らせたようだ。それでも、ジークの好きなものであればと、どうにかカレンはジークから好物を聞き出した。
 そのときジークが好きなものに肉類をあげなかったら、まったく話は変わっていただろう。言ったジークも、そうなると思って言ったわけではなかった。
「お肉なのね……ええと……兎と鳥とどっちがいいかしら」
「どっちでもいいが?」
 そう答えたときにはまだ、まさかカレンが狩りに行くと言い出すとはジークも思ってはいなかった。
「じゃあ、兎でいいかしら。ちょっと待ってて。獲ってくるから」
 それを聞いたときには、ジークもその意味を咀嚼するのにやや時間がかかったが。理解できれば、都市育ちのジークには興味深いものだった。
「どこまで行くんだ?」
「近くの山で良いと思うわ。多分、今の時期なら肥ってると思うし」
 狩りに使うナイフの手入れをしながら、そうカレンは屈託なく答えた。
 付き合っている彼氏に手料理をご馳走するのに、肉を獲りに行くところから始めようというあたりが普通ではないと言えば普通ではないが、彼らはそういう意味での普通は求めていないので。似た者同士ではあるのだろう。
「じゃあ、俺も一緒に行ってもいいか?」
「いいけど、ただの兎狩りよ? 付け合せのキノコも一緒に採ってくるけど」
「ああ、少し面白そうだ。俺は、こういう狩りの経験はあまりないな」
「そうなのね……私は故郷が田舎で、ごちそうが食べたければ自分で獲ってくるって感じだったから」
 カレンの故郷はレヴァンティアースでは割合に普通の痩せた土地で、作物は野菜が少し採れる位。後は出稼ぎに出ている者の収入ですべてが賄われているが、健全ではあるが贅沢ではない程度の食生活であるようだった。その中でたまの贅沢が、自ら狩ってきた獣肉の料理であるという。贅沢と言っても、宮廷料理のような見た目も凝らした繊細なものではない。ただ焼いたり煮込んだりという素朴な料理法で、肉を食べるようだった。
「だから……言っておくけど、繊細な料理はできないわよ、私」
 そこで改めて、弁解するようにカレンが言うのを、ジークは苦笑いして聞いた。
「カレンが得意な料理で良いんだよ」
 それが何かということは、ジークにはあまり関係がない。その価値はカレンが作るというところにあるので、作ってもらうものは実際にはなんでも良いのである。
 だがカレンには、そのあたりがどうしても良くわからないようだ。彼女の宿命的な欠点は自分の価値を正しく認識できないことなので、ジークがそのために苦労することは多分やはり宿命付けられているのだろう。
 そんな二人の、初めてのデートの約束。それが兎狩りというのは、どこか素朴で調子外れな彼ららしいのかもしれなかった。

●彼女が制服に着替えたら
「カレン、なんで」
 ジークは待ち合わせの場所に姿を見せたカレンの服を見て、わずかに絶句した。
「やっぱり変? 似合わないかしら」
 そう言って、カレンは自分の格好を見下ろしている。まだすぐには、ジークにどうとは言えなかった。
 普通のデートなら、二人とも着飾って顔を合わせただろう。だが、今日の行き先は山だ。登り道も多分ないような……目的は明瞭なので、恐ろしく険しい場所までは踏み込まないだろうが、女の子が普段の格好で出向く場所ではないかもしれない。
「よく考えたら、服がなくて」
 だから、と、男子の制服を着たカレンは言った。
「……それは?」
「お古をもらったの。丈は詰めて」
 少し複雑な表情のまま、どうにかジークはその問いを搾り出す。カレンはなんでもないことのように答えて、ジークを見返した。
「スカートじゃ山は危ないし……他のじゃ、ちょっと、どうかと思ったんだけど」
 動きやすい服を、カレンは持っていないわけではない。カレンが『仕事』をするときには、多くの場合、闇に紛れるような装束で身を包んでいる。そのときには顔も隠して、男女の別さえよくわからない姿だ。ジークも、それは見たことがある。
 それでもなく、これ……ということは、本当に他にはなかったということかと、ジークは考え込んだ。たしかに黒装束で山へというのは、ちょっとどうだろうかとも思ったが。今、目の前のこれもどうだろうと思わないではいられなかった。
 初めてのデートなのである。
 一般的な行き先ではないとしても、だ。
 ちなみにジークは普段着だった。動きやすい素材の上下で、シンプルな格好ではあった。汚れる場所に行くのだから、それで良いだろうと。着飾ってないという点では、お互い様だ。
「変?」
 もう一度、カレンはそう訊いた。今度はジークを見上げて、首を傾げて。そうしている仕草は、普通に女の子に見える。
「……変じゃあ、ないな。見慣れないから、びっくりしただけだ」
 実際に変なわけではなかったので、ジークは言葉を選んでそう答えた。変ではないが、やや複雑ではあるというのが真情だった。
「よかった。じゃあ、行きましょうか」
 カレンはいつものようにジークの手をとった。普段なら手を繋いで歩くのには、ジークは抵抗はないのだが……
 今日は、少しだけ躊躇う。
 カレンは、そんなジークの微妙な気持ちには気付かなかったようだ。ジークの手を引いて歩き始める。
 男子の制服を着た誰かと手を繋いで歩いている……という状況。それが男子の制服を着たカレンだとわかるくらい親しい者にならよいのだが……そうではない誰かには見られないといいと、ジークは少しだけ思っていた。

●恋人達の即興劇
「カレン、あそこに」
 ジークは野兎を見つけると、カレンの耳に囁いた。カレンはジークの指先の示すほうへと視線を向けて。
 その手からナイフを放るまでに、ほとんど予備動作がなかったことに、改めてジークはこっそりと感心した。それが的に当たっていないとは、露ほども思わなかった……もちろんジークの思った通りに、獲物はその一撃で仕留められていた。
 ジークがカレンに惹かれた理由の一つは、この純粋な戦闘技術の高さにあるだろう。女であるがゆえに膂力には限界があるが、けしてそれも低くはない。俊敏さも正確さも、瞬発力も持久力も、同年代では抜きん出ている。フューリアを評価するのはそういう技術ではなく、リエラの力であるので、リエラの弱いカレンは一般的には評価は低いことになるが……ジークには、憧れに目を輝かせる少年に立ち返らせるほどの魅力でもあった。その心の中のどこかには、いつかカレンと剣を交えて勝利したいという想いが隠れているのかもしれない。訓練ではなく。真剣にそれを交えたことはあっても、勝てたことはまだない。
 カレンは仕留めた野兎のところまで、山の斜面もものともせず軽やかに走って行って、その耳を持って既に事切れた獣を確認している。
「ジーク、これ持っててくれる? 私、キノコ採ってくるから」
 その獲物は、カレンにとって満足できるものだったようだ。笑顔でジークに兎を手渡して、懐から布を出す。それに包んで、キノコは持ち帰るつもりのようだ。
「ああ」
「じゃあ、すぐだから、ちょっと待っててね」
 もうキノコは目星をつけていたのか、カレンはまっすぐに、また違う樹の根のところまで跳ねるように駆けていく。その根元にしゃがんで、幅広のナイフで土を掘り返していた。ジークはゆっくりそこに近づいて行って。
「……カレン! 上」
 だいぶ近づくまで、ジークも気がつかなかった。カレンも気付いてなかっただろう。それが、歪んだ枝に擬態していたのはある。そして、他はもう冬眠に入っている時期であるというのもあった。
 カレンの頭上に伸びた枝に、蛇がいた。それがずるりと落ちそうになって、ジークもようやく気付いたのだ。
 上を見上げるのと同時にカレンは横に跳んでいたが、落ちてきた蛇は地面を蹴ったカレンの足に引っかかった。どさりとやや重量感のある落下音とともに、蛇は鎌首をもたげる。そのまま離れれば蛇には追いつけなかったかもしれないが、そこでカレンは身を翻して、ナイフでその首を薙いだ。
 蛇は刃物を恐れずに、カレンにその牙を向けて。
「カレン!」
 ジークが走り寄ったときには、もう蛇は頭と胴の境目あたりで綺麗に二つに分かれていたが。
「……ちょっと失敗しちゃった」
 カレンは珍しく照れ笑いを見せた。
「大丈夫か?」
「大丈夫だけど、噛まれちゃった……首飛ばしてから噛むとは思わなかったわ。すごいわね」
 そう言って手に、その蛇の頭を掴んでいる。
「どこを噛まれたんだ? ……これ、毒があったよな」
 蛇の亡骸を検分して、ジークはその種を思い出そうと努めた。この時期まで、冬眠しない蛇。何かで聞いたことはあった。それはレヴァンティアースでも珍しい蛇で、だが、この近くにいるとは今日までは知らなかった。
「足だけど……服の上からだったし、傷はそんなに。毒もたしか弱いから、まあ……帰るまでは平気よ」
 カレンのほうが、知識はしっかりしているようだった。後で腫れて熱が出るわね、と他人事のようにカレンは言う。カレン自身はそれほど気にしていない様子だが、ジークははいそうですかとは言えなかった。
「傷、見せてみろ」
「え、上のほうだから、そこまで裾捲れないわよ」
「どっちだ?」
「右……だけど」
 右腿の前だと、カレンは答えた。よく見れば、少し血がにじんでいる。
 脱ぐか破るかしなければ、確認できなさそうではある位置だった。
「……手当てさせてくれ、カレン」
 脱いでくれとは言いあぐねて、ジークはそう言った。
「大丈夫よ、本当に。戻るまでは」
「それは大丈夫とは言わないから」
 カレンは困ったように、じゃあ、と続けた。手に持っていた布を広げて、三角に折る。
「縛っておくわ。それで、手当てするまではもつわよ」
 カレンはその場に座って、腿に布を巻いて強く縛る。その前に屈んで、ジークはそれを見ていて。
 結局、決心して自分のナイフを抜いた。
「すまん、カレン」
「……ジーク!」
 避けなかったのは座っていたからか、目の前で殺気がないのはわかっていたからか。カレンは咎めるような声は上げたが、ジークがナイフの切っ先で引っ掛けてズボンを破くのをとどめるまではしなかった。
「ジーク……」
 その次には呆れたような声音で、カレンはジークの名を呼んだ。破けた服の下からは、蛇に噛まれた跡が出てきて。もう、少し腫れ始めている。
 そこにジークは顔を寄せた。噛み付くように、牙の跡の残る傷口からいくらか血を吸い出しては吐き出す。それを何度か、繰り返して。
「……気休めなのはわかってるが」
 顔を上げたジークは、眉間に皺を寄せていた。こんなことくらいしかできないのは、情けないような気もして。
「ありがと。それでも、嬉しいわ」
 カレンは笑っていたので、少しほっとして。
 ジークは隣に置いていた兎を再度手に取った。
「もうキノコは採れたのか?」
「食べる分は足りると思うけど」
 カレンも横に転がっているキノコを手にとって、土を払う。
「それと、この兎、一緒に抱えられるか?」
「大丈夫だと思うわ」
 収穫のすべてをカレンに持つように言うジークに、少し首を傾げながらもカレンは兎も受け取って。
 それらをカレンが胸に抱いたところで、ジークは立ち上がった。
「……きゃ!」
 カレンごと、抱き上げて。
 いわゆるお姫様抱っこという形だ。
「ちょっと、降ろして!」
 降ろせというカレンの要求には知らん顔をして、ジークはそのまま山を降り始めた。
「暴れるなよ、落とすから」
「落とさないで、降ろしてよ」
 それでもカレンが身じろぎして降ろしてと繰り返すので、ようやくその予定を答える。
「戻ったら降ろすよ」
「……このままアルメイスまで戻るつもりなの?」
「まずいか?」
「誰かに見られたら……」
 さすがに恥ずかしいのか、少し顔を赤らめて、カレンはその可能性を指摘した。
 街に入れば、誰にも見られずに済むということは多分ないだろう。
 カレンはジークに抱かれて運ばれているところを誰かに見られるのが恥ずかしいから、そう言ったのだろう。
 誰かに……男子の制服を着た子を抱いて歩いているところを見られる。それがカレンだとわかれば、カレンは恥ずかしくても、ジークには良いのだが。
 仮に、わからなかった場合。
 それを想像して、別の意味でジークはやや気鬱になった。
「でも、駄目だ」
 頭を振って、ジークはこのまま帰るのだと決意を告げる。
「歩けるわよ」
「歩けても駄目だ。……脚が見える」
 破いたほうが内側になるようにして、まわりからは見えないように、ジークはカレンを抱いていた。
「破いたのはジークじゃないの」
 カレンもそれはと抗議の口調で指摘する。
「それでもだ」
 あるいは、だから、か。
 この我が侭は許されるだろうと、ジークはカレンを降ろさなかった。
 それに見合ったリスクは、負っているのだからと。

●アドリブの先に
 カレンはやはりその夜、熱を出したが。自分で作ったという毒消しを飲んで、その熱も翌朝には下がっていた。
 兎とキノコは翌日に素朴なソテーになって、無事ジークの腹を満たしたようだ。
 そして数日の後には、ジークにまつわる噂はいくつか数が増えていたらしい。

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