■番外1:消えた台本■

●OP
 アルメイスに初雪が降る季節。この時期のビッグイベントと言ったら、何はさておき『蒼雪祭』だろう。猫も杓子も、このお祭りに向けて準備を進めている。今年も双樹会で有志を集めて行われる劇も、順調に準備が進んでいるようだった。
 そんな中で、小さな事件が起こった。出演者の台本が失くなったのだ。全員分ではない。出演者の一人の台本で、代わりはあるので、深刻な問題ではなかったようだ。だが指示や訂正を書き込んだ台本を失くしたことは、失くした者にとっては痛手だったようだ。
 台本がなくなった場所は、劇の練習をしている部屋だ。出演者の彼女は誰かに呼び出され、だが言われた場所まで行っても誰も居なくて、戻ってきたら台本が消えていたというわけだった。
 当日、練習をしていた部屋には大勢の出入りがあった。だが、部外者が出入りしていたら気がつくだろう。当日部外者の出入りはまったくなかったわけではないが、総当りするつもりなら可能である。
 彼女の台本が失くなったことに気付いたのは、帰ってきた彼女自身だった。
 推測される細かい経緯は……彼女が出て行った後、スタッフの一人が稽古のために置かれていた台本を集めて片付けた。彼女の台本は、その中にあっただろうと思われる。だが、稽古の間に戻ってきた彼女が重ねられ片付けられた台本の束を見たところ、自分の物はなかったというわけだ。
 彼女の前に、その台本の山をいじっていたり、自分の台本を持って行った者はいるが、こちらは現状特定はできない。
 全員が自分の台本を取った最後には、持ち主不明の綺麗な台本が一冊残っていた。
 台本は、表紙・裏表紙から、基本的に持ち主を特定することはできない。中には名前を書く場所があるし、中の書き込みからも自分のものならばわかるだろう。
 彼女をその日に呼び出した……その伝言を伝えたのは、一緒に劇に参加しているスタッフだ。そのスタッフは、彼女を呼び出したのは見知らぬ男子生徒だと証言している。呼び出したとされる男子生徒の特定は出来ていない。

 被害者である彼女は、誰かが盗ったのだと主張して、参加者の雰囲気は微妙になっているらしい。
 それをどうにかするために、内々に犯人を特定したいのだと……
 これは、そういうマイヤからの依頼だ。
 過去見は使っても構わないが、内々の調査なので、人前で使ってはいけない。
 それ以外のことについても、できるだけ穏便に、スタッフには知られないように。
 誰が、何故、いつ、どのように台本を盗ったのかを調べてもらいたい。

 余談だが、劇はラブストーリーで、脚本と演出は一人の人物が担当している。
 主人公の一人の男子は、女生徒に人気のある人物だ。
 被害者の女生徒はヒロイン役である。
 台本を片付けた者は、女生徒だった。
 被害者に呼び出しの伝言を伝えた者は、女生徒だった。

●始まりの足音
 蒼雪祭が近づいていた。
 学園中が慌しく、準備に追われている。
 ある者はグループでの発表に、ある者は有志の劇に。ある者はそれらを鑑賞するために……恋人を誘いにいく。
「カレン、蒼雪祭の日は時間取れるか?」
「ええ、大丈夫だけど……」
 “闇の輝星”ジークも、カレンに当日の約束を取り付けていた。
「じゃあ、一緒に見て回らないか? 劇とか、出し物とか……」
「いいわよ」
 うなずくカレンに、ジークは笑みを返した。
「そうか。去年は俺が劇に出てたから、一緒に見て回るってできなかったからな」
「そうだったわね。でも……劇は何か、騒ぎが起こってたんじゃなかった?」
 カレンが思い出したように言う。台本がなくなったという、些細な事件だったが、人の口にはのぼる程度ではあるようだ。
「そうらしいな……俺は、そういうのは得意じゃないんで、関わらないが。ソウマは話を聞いて、すっ飛んでってたな」
「ソウマが……」
 ジークが例に出した名前に、カレンはやや微妙な顔を見せたが。
「……解決するといいわね」
 感想は、そう言うに留めた。

●交錯する推理
「シルフィスさんを快く思わない人って言うか……ほら、やっぱりラブストーリーだから」
 “春の魔女”織原 優真がシャルティールと共に、こっそりと劇のスタッフを捕まえて聞いた話はと言えば、やはり主人公役の男子生徒にまつわる話だった。彼が人気があるので、ラブシーンのあるヒロイン役の“銀の飛跡”シルフィスは妬まれているだろうという推測だった。
 だが、実際に誰が? と言った時点で、劇のスタッフの中には、そこまで強烈に主人公役の男子に入れ込んでいる者はいないらしいということもわかる。あのときヒロイン役を呼び出した者も、台本を片付けた者も、心憎くは思っていないけれど、実はそんなには主人公役の男子に熱を上げているわけではないらしい。
「それでは……シルフィスさんを良く思っていない人が持っていったわけではないのでしょうか」
「そういうことになりそうだね……」

 優真と同じことを、概ね同じ方法で調べたのは“冒険BOY”テムだった。こちらは優真よりも、もう少し手広かったが。だがやっぱりスタッフから聞き出した範囲では、具体的に誰が? というところで同じく躓いてしまう。
 ヒロイン役を争った者はいないかなども調べたが……その線は微妙なところだった。正確には他にも推薦された候補はいたが、当の本人に争う気がなく、トラブルには至っていないというところなようだ。稽古に入るぎりぎりまで、決まっていなかったのはあったようだが。
 聞いていく限り、予測していた『怨恨』という動機は出てこない。
 結局少なくとも、動機の面では現在のスタッフ内部の仕業ではないような気がしてくる。
 だが外部の者が台本を奪ったのなら、そこで対象は極少数に絞られてしまう。容疑者は、当日に出入りした者だけになるからだ。
 ここで、これぞという動機を持つ者が浮かびあがればよいのだが。
「……あの日スタッフ以外で出入りしてたのは、全員男子だったのかあ」
 そして当日に出入りした人の中にも、やはり動機らしいものを持つ者はいなかったのである。

 だが、犯人がどこにもいないはずはない。”暇人”カルロは、まずヒロイン役を呼び出した女生徒の後を尾行してみた。それで怪しいと思ったら、徹底的に追ってみようと。駄目ならば、次の女生徒を。それでも駄目ならば、他のスタッフを。
 しかし、一人を追って判断するにはどうしても一日以上かかる。
 それは気の長い作業になりそうだった。

「じゃぁ、台本を片付けた人と、シルフィスを呼び出した人は違ぅ人なんだ?」
「実際に片付けるところを私が見たわけじゃないけれど……そうね」
 台本紛失事件でやや落ち着かない劇の練習であったが、中断しているわけではなかった。時々呼び出されて出て行ったり、話をしていたりというのも、前と変わらないと言えば変わらない。
 演技指導の“闇司祭”アベル が激励し、ヒロイン役であるシルフィスも稽古に余念はなく、練習はいくらかの不信感は拭い去れずとも順調だと言えただろう。少なくともシルフィスが懸念したような再度の嫌がらせは、一切なかった。
 どうやら劇そのものへの嫌がらせでもないらしい。
 またアベルもやはり他の者と同じように、ヒロインへの嫌がらせの線の推測は捨てざるを得なかった。引っかかるところは、ヒロイン役が決まったときの経緯だけだが……複数の候補がいたのは、どの役も同じ。ヒロインはかえって、他の役より争われていないくらいだ。
 そのときは、ケーキの差し入れを持ってきた“ぐうたら”ナギリエッタの質問に、シルフィスが答えていた。
「そぅなんだ……あのね、残ってた台本、見せてもらってもいぃ?」
「いいわよ。私が持っているから。使う台本は、別に用意してもらったけど」
 はい、と渡された台本を、エリスが受け取って開き、ナギリエッタが覗き込む。
「……真っ白」
 それは本当に何の痕跡もない、出来たての台本のように見えた。

 その後、稽古は順調に進んでいた。
 カルロのストーカー被害に業を煮やしたスタッフ女子が集団でカルロを吊るし上げたりしたが、それは多分些細なことだろう。
 アベルには、そんな女子スタッフをなだめてカルロを追い払うという余計な仕事が増えたけれど、それも劇の成功のためには仕方ないことだった。
「いい加減にしてくれるかね」
「やっぱまずかった……かな?」
 アベルにとっては手間であったが、カルロにとってはそれは幸運だった。
 あわや見境のないストーカーという変態のレッテルが貼られるところを、救われたのだから。
 いや、それだけではない。女子はストーキングし尽くして、次の対象は男子のスタッフだったので……言い訳に用意していた「僕、実は前々からあなたのことがっ」を使うと、更に救いのようのない噂がばら撒かれるところだったのだ。

「それでは、新しい台本を受け取りに来た者は一人以外にいなかった……と」
 アベルは脚本演出担当の者の元へ、台本をなくしたという口実で新しい台本を受け取りに来ていた。レイクという物静かで大人しそうな青年はアベルに新しい台本を渡し、そしてアベルの問いに答えた。
「はあ……そうですね」
 台本を失くしたと言ってきたのは、まさにヒロイン役のシルフィス一人だったということだ。失くした経緯は、皆が知る通りである。
 脚本は彼が書いた。そして製本は他人にも手伝ってもらったようだが、台本が出来上がる最初から最後までは、彼が関わっている。
 では、あの台本はどこから。
 その疑問は残るようだった。

 ソウマは脚本演出担当のレイクを呼び出して、食事に誘っていた。
 ちなみにソウマは呼び出すまでは、脚本演出担当は女生徒であると信じていたという裏話がある。本当に女生徒だったらソウマの数ある噂にまた一つ追加が出たと思われるが、不幸中の幸いか、彼は男子生徒であった。
 食堂で昼食を共にしつつ、ソウマは内心首を傾げていた。女生徒でないと、考えていた動機とはやっぱり食い違う。
「なあ! アンタ、自分で脚本も演出も全部自分でやったんだってな?」
「え、ええ……でも、脚本は元から書いてあったものでしたので」
「オリジナルなのか!?」
「はい」
「キャストも自分で選んだのか!?」
「えっ、いえ……」
 レイクは少し慌てたように、否定した。
 聞かれたので、誰が良いかという推薦はしたが、ほとんどはその通りになったわけではないということだった。希望が出なかったところには、推薦した人があてがわれた役もあったらしいが、脇役であったようだった。
「やっぱり、希望通りのほうが良かったのか?」
「そういうわけじゃないんですよ……結局は、ならなくて良かったかなと思います。ちょっと、そうなったらと考えたのはありますが……」
 ならなくて良かった、と、彼は繰り返して言った。
 ふうん、と、ソウマは目を細めた。
「主人公には、自分がなりたかったのか?」
「そんなことは……」

●推理の行方
「あいつが怪しい」
 ソウマは最初に目した通り、レイクが怪しいと確信していた。だが彼の手元を探っても、もう証拠になるものは見つからなかった。問題の台本は、おそらく既に処分されているのか……あるいは見つかるようなところにはないということか。
 ただその報告だけをしにマイヤのところに来たところで、同じく報告に来た者たちと行き会う。
「僕も彼しか動機がなさそうに思うんだけど……でも、そこまで、自分が推薦したヒロイン候補の人にヒロインをして欲しかったのかな?」
 テムがそう言って首を傾げる。動機にしてはやや弱そうだと、そう思っていた。
「そうなのか!? 希望通りにならなくて良かったって言ったときには、嘘を吐いてる風じゃなかったな!」
 ソウマの言葉に、ナギリエッタが考えていた動機を口にしてみる。それ自体は正解ではないが……無関係ではないような気がした。
「キ、キスシーンが嫌だったんじゃないかと思うんだょ」
「なんだそれぁ」
「キスシーンをこっそり、書き直しちゃうつもりだったんじゃないかな……」
「そりゃ、全員分書きなおさねえと意味ないだろ!」
「そっか……」
 ソウマに指摘されて、ナギリエッタはしゅんと沈む。
「でも……もしかしたら、そうかもしれません」
 そこへ優真が助け舟を出した。
「逆なら、あるんじゃないでしょうか? ……最初から、ヒロイン役の台本だけが違っていたりしたら」
 ヒロインの台本をすりかえれば、皆同じ台本になる。
「じゃ、なんで、ヒロインだけ違う台本にしたんだ……?」
 むうう、とソウマは考えこむ。
「それはわからないね。……読心してみる?」
 心を読んでみれば、犯人かどうか、本当にどうしてなのかはわかるだろう。
「そこまでしなくてはならないのか?」
 そう言ったのは、会長室に入ってきたアベルだった。
「反省していないなら、反省させなきゃいけねえだろ!?」
「それで犯人だとわかったら、おまえの心を読みましたと言う気か。どこが穏便だ」
 そこまで叱り付けてから、アベルは、シルフィスが最初に持っていた台本の一部が実際に違っていたらしいことを告げた。
「クライマックスのシーンで、シルフィスが相手役の台詞が違うんじゃないかと言い出したんでわかった。実際の全員の台本は……今はシルフィスのもだが、皆同じなんでな。シルフィスの勘違いだろうということにして、稽古は進めているが」
「それじゃあ……」
「台本を作ったのは彼だ。なら、同じ見かけで中味が少しだけ違う台本を作るのは多分、彼にしかできんな……そもそも新しいまっさらの台本があった時点で、疑うべきだった」
 複写という技術がない以上、予備を持ち出したか、版下を刷ったしかないのだから。
「そりゃ、そうだよな!」
 動機はともあれ、事実は変わりない。ソウマもうなずく。
 レイクが犯人だということで、間違いはないと、アベルは廊下に向かって手招きする。
「すみません……」
 そしておずおずと、頭を下げながらレイクが部屋に入ってきた。

●ことの顛末は
 恙無く、当日はやってきた。
「それで、結局どういう話だったんだい?」
 改めて最初と同じ立場で……視察に来たというサウルだったが、蒼雪祭の賑わいの中で、相変わらず一人でふらふらしている様子だった。夜の列車で帰るという慌しさだというのに、そんな様子で。
 行き会った優真が、かえって心配になるほどだ。それで、案内を申し出て……
 ちょうど始まる時間が近づいていた劇に誘う。始まるまでの待ち時間に、劇にまつわる話をして。
「スタッフさんを介して呼び出した人は、レイクさんのお友達だったそうです」
 レイクは台本をすりかえる隙を窺っていて、呼び出したその隙にと思ってはいたが、台本を片付けられたのはたまたまであったらしい。
「それで台本は……クライマックスの告白の台詞が違っていたんです」
 ヒロイン役にと渡された最初の台本のほうが、特定の人物にとってはより具体的だったらしい。そして劇としては、やや不自然でもあったようだ。
「もう一人のヒロイン候補さんがヒロインになったら渡して……告白するつもりだったものを、手違いでシルフィスさんに渡しちゃったらしいんですね」
 違うとわかれば、どうしてかと追求されることになるだろう。それで取り戻したかった、ということのようだった。

「無事に公演できてよかったわね」
 カレンとジークも観劇を終えて、講堂を出て。
「やっぱり、大した話じゃなかったみたいだけど……ちょっと、犯人に同情するかな」
 伝え聞いた顛末には、ジークは苦笑いを浮かべていた。
「どうして?」
「シルフィスに殴られたらしい」
「……そう」
 カレンは如何ともつかぬ表情で、ただそう答える。
 お気の毒ね、とも言いにくいところだろうか。自業自得ではあるのだし。だが、経緯と結果で、どうもやや同情票が増えそうな流れではあった。
 まあ、そんなことも、彼らには直接関係することではないが。
「さてと、この後は後夜祭だが……踊ってくれるか? カレン」
「……普段着だけど、いいのかしら」
 そうは言っても、ドレスを持っているというわけではない。そんなことはジークだって知っている。
「もちろん」
 そう言って手を取って。
「……じゃあ、喜んで」
 二人は、夕闇の広場へと歩いていった。

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