●OP
少々変わった二人連れが、ランカーク邸を訪ねたのは慧老の月の初めのことだった。その二人連れというのは……
「ようこそいらっしゃいました! お加減はいかがですかな」
にこにことランカークは客の前に出た。にこにこしているのは、久々の登場だからというだけではないだろう。二人連れのうち一人が、フランだからだ。
「おかげさまで」
「それは良かった! で、レディフラウニー、何の御用でしょう」
ランカークは二人連れのもう一人は視界に納めていないかのように、そう続ける。
もう一人はと言えば、クレアだった。フランとクレアという組み合わせが珍しいものであることは、多分間違いない。
「ええ……実はお願いがあって参りましたのですが」
「私にできることでしたらなんなりと」
「あの、年越しの際に、パーティーを開きたいのですが……年末から年明けにかけて、お宅を貸していただけませんか? 昨年はプレゼントの交換などいたしましたようですし、そのような。私は……昨年は、それどころではありませんでしたし……」
「パーティー! それは素晴らしい。もちろん構いませんよ、ええ」
そうランカークが応じたところで、クレアはニマっと笑った。そして横にいるフランに、何かブロックサインを送っている。
「あ、あと……いくらか他の方に案もお聞きしまして……仮装パーティーの予定なのですけど……」
「仮装パーティー! ううむ、素晴らしい企画ですな」
やっぱりにこにことにこやかに、ランカークは応じている。
「できるご協力は惜しみなくいたしましょう!」
そう言ってドンと胸を叩いたところで、クレアがひょいと顔を出した。
「あ、じゃあ、もし仮装用意してこなかった人がいたら、衣装の貸し出しとかもしてくれる?」
「む……それが必要とあらば……」
微妙な物言いで、ランカークはちらりとフランを見た。
「……お願いいたします」
フランが小さく付け加えると、キラリと歯を輝かせた。
「お任せください!」
これが言った者の差である。
「ありがとー! 何用意するかは任せるから! 多目に用意しておいてね! やっぱり仮装パーティーは、皆仮装しないとねー!」
にゃははと笑って、クレアは気にも留めてはいなさそうだったが。
「これでよろしかったのですか?」
「うん、ありがと、フラン。フランじゃないと、うんとは言ってくれなかったかもだしね。ホント、助かったよ。冬場に人が集まってパーティーできる場所って、あんまりなくってさ。夜だと、ホントに寒いじゃん?」
実は実際のパーティーの企画者は、クレアのほうだった。だが、理由はフランが言ったものと変わりない。昨年は落ち着いて楽しむような状況でなかったので、今年は自分でやろう……というわけだった。深い理由ではないけれど、苦難の時期を越えた者には、それなりの意味がある。
それはフランにも同じことが言えるかもしれない。フランがランカークへの交渉をクレアに持ちかけられて応じたのは、そういう部分もあるかもしれなかった。
「あとは、来てくれそうな人に声かけてくる! どのくらい来てくれるかわからないけど……プレゼントと仮装を用意してきてねって」
極普通と言えば普通の、年を跨ぐ夜のお祭り騒ぎ。皆で仮装をして、ダンスをして、プレゼントを交換する。
「……そう言えば……ルーさんは……」
ふと思い出したかのように、フランはクレアの相棒の名を問う。
「あー……さすがに声かけたりとかは手伝ってくれないだろうけど。準備は手伝ってくれると思う」
「そうですか。私も準備はお手伝いしますね」
「ありがと! 他に女の子がいると、ルーも付き合ってくれやすい気がする! まあパーティーの間は……どうかなぁ、大丈夫だと思うけど」
最後はやや自信なさ気な口調になったが、クレアは昔と変わらぬようにも見える快活さで走って行った。
「何か、仮装になるような服はあるか? たくさん必要なんだが」
「たくさん……ですか?」
カレンがランカークに無理難題をふっかけられることは珍しくはないが、今回のそれはなかなかに難題だった。
「仮装をたくさん……」
口に出して言えば、容易でないことは明らかである。しかし、内心頭を抱えても、カレンはこれをどうにかしないといけないのだ。
「なんでも良いので?」
「多分何でもいい。仮装ならな」
そこで、カレンは考え込む顔を上げた。潔い即決も、必要な技能だ。
「では、侍女の揃いのお仕着せの古いものなら、たくさんあります。サイズも色々」
「そんなものが仮装になるのか?」
「多分……着て恥ずかしいものなら良いのでしょう。なら、男性も女性も、それで良いかと」
カレンの仮装の認識も間違っているが、いわゆるメイド服なので、仮装にはなるだろう。男性が着るには、やや精神的に厳しいものがあるかもしれないが。
「男もか?」
「裾の長いものもありますので……気になるのでしたら、黒タイツとハイソックスも用意しておきます」
ここでオーバーニーだと、かえって破壊力が上がる……とかいうのは、マニアックな話なのでさておき。
「数は大丈夫か?」
「……流行りだからと言って、しょっちゅうお仕着せの仕立てを変えさせるじゃないですか」
だからデザインがバラバラで良いのなら、お仕着せはたくさんあるのだと、カレンはやや責めるような口調で言う。
「古着をまとめて処分する前でしたので」
「ああ、わかったわかった! それを出しておけ」
説教は聞かんと言いた気にランカークは部屋を出て行き……
それから数日。
「カレン! いるか!」
またカレンは呼ばれた。
「……なんでしょう? お仕着せなら、今干してますが」
「こんなものが届いた!」
そう言って、カードを見せる。
「『年越しの夜、プレゼントをいただきに参上します』……パーティーの招待客じゃないんですか?」
「ばかもん! 招待客なら、わざわざこんなカードを送って寄越す必要はないだろう!」
「じゃ、なんだと言うんですか」
「プレゼントを狙った泥棒だ」
カレンは溜息を噛み殺した。
「……泥棒が予告するというのは、浪漫かもしれませんが、現実的ではありません」
「じゃあ、なんだと言うんだ!」
「…………」
「レディフランのプレゼントを狙った不届き者かもしれん! いや、私のゴージャスなプレゼントを……!」
何か、ランカークは勝手に想像が盛り上がっているようだ。それは、別にカレンにとっては困るものではなかったのだが。
「警戒を怠るなよ!」
そう言われて、カレンは少し鼻白む。
「……私も、出るんですか?」
「当然だろう」
「仮装になりそうな服は、持っていませんが」
いわゆる『隠密用の仕事着』では人前には出られない。後は、制服とわずかな私服しかないのだ。
「それで出れば良いだろう。十分仮装になると言ったじゃないか」
カレンは更に、眉間に皺を寄せた。今着ているもう一着の『仕事着』で人前に出るのも、ごめんこうむると思っていたからだった。
「年越しのパーティーに、怪盗が来るんだって?」
「予告状が来たんだって」
「フランのプレゼントの自動人形を狙ってるとか……」
「いや、黄金のランカーク像を狙ってるんだって」
「いやいや」
気が付けば、『参加者の誰かのプレゼントを狙って怪盗が来る』……そんな噂が、いつの間にか年の瀬の学園に流れていた。
●年の瀬の支度
「やあ、買い物?」
“暇人”カルロが店から出たところで、ちょうど“黒い学生”ガッツと行きあった。ガッツは手に大きなカボチャを抱えている。
「ああ」
腕いっぱいになりそうな冬カボチャの大きいものを抱えなおして、ガッツは答える。
「そのカボチャ……何に使うんだい?」
「……秘密だ」
「そうかぁ」
ただ食べるためにしては大きすぎるので、多分年越しのパーティーで使うのだろうとはカルロにも想像に難くない。
「それじゃ俺は、買い物があるから」
そう言って、ガッツは今カルロが出て来た雑貨店に入っていった。その後ろ姿を見送って。
「鼻が効くわけじゃないんだなあ」
自分の買ってきた袋の中身を確認する。香草なども色々入っているのだが、袋の中身の半分は黒砂糖だった。覗き込めば、独特な甘い匂いがする。
「まあ、当日がいいよね」
そう呟いて、店の前からカルロは歩き出した。
すると、今度は前から“冒険BOY”テムがやってくる。やっぱり、腕には袋を抱えていた。
「やあ」
「こんにちは、そっちも買い物?」
先に問われて、カルロは頷く。テムはそれに応えて続けた。
「皆、準備で大変そうだね……僕も準備は簡単かなって思ったけど、結構、服探すの大変だったよ」
どうやらテムの袋の中身は仮装の衣装であるらしい。
「僕は仮装は借り物なんだけど、そっちはどうにかね。今はプレゼントの材料を買ってきたところ」
「僕は、プレゼントは……」
と、テムは気まずそうに黙り込む。
「なんだい?」
「当日のお楽しみにしておこう。そっちに当たったら、教えるよ」
じゃあ、と片手を挙げて、テムは去っていく。
「……そうか、交換はランダムだったんだっけ」
カルロは用意するプレゼントを考えながら、どれを交換に出そうか……と考え込んだ。どれも、受け取り手を想定したものばかりだったからだ。
「アレにするかなあ……」
と、袋の中を覗き込みながら、カルロは呟いた。
プレゼントや仮装の準備は、それぞれ買い物ばかりではなく。
「派手な会場では、質素な中に気品が出るもの」
“闇司祭”アベルはランカークを訪ねて行って、そんなことを吹き込んでいた。ランカークと良好な関係を維持しておきたいという考えで、ランカークに仮装の入れ知恵をしに来たのである。
放っておけば、ランカークはとんでもない仮装をして失笑を買いそうな可能性はあっただろうか。まずは穏やかなパーティーの開催のために、それを回避させる。そして回避させるだけではランカークはありがたみを感じてくれないので、他から褒められるような仮装をさせなくてはならなかった。
まずはじめに、以前の失敗を詫びて。
「純白の絹を基調とした高僧衣などは目にも留まりやすいかと」
「うーむ」
目立つというところに、ランカークは心を動かされたようだった。絹という素材も豪華で高価そうで、ランカークを揺さぶったらしい。
「悪くはなさそうだな」
ふむふむと納得して、ランカークは侍女を呼びつけてそのような衣装を用意させることにしたようだ。
同じ日に“鍛冶職人”サワノバもランカーク邸を訪ねていたが、こちらは特に大道具などをこしらえる予定はないと言うことで事前の仕事はなく、何もせずに帰ることになったようだった。
アベルはその足で、クレアのところに行った。怪盗対策をどうするのか訊ねると、
「んー、女子控え室にプレゼントは時間まで置いておくよ。見張りはつける予定」
という答が返ってきた。大丈夫だよ! という自信たっぷりの様子だ。
アベルはそのあまりの自信に考え込みつつ、クレアの前を後にした。
「俺様は森妖精の仮装なんだが」
また、同じ頃には。“自称天才”ルビィがクレアとフランに同様に妖精の仮装を勧めていた。
だが、ノリの良いクレアには「いいよー。じゃあおそろいだね!」とすんなり受け入れられたものの。
フランのほうには……
「私は……特には予定はないのですけれど、ランカークさんからお借りしようかと思っているんです」
すみません、と丁寧に断られていた。
「って、ランカークから借りるのはメイド服だろう? 俺様のほうの、氷の女王のほうが良くはないか?」
ルビィは少し粘ったが、フランは頷かなかった。ルビィのちょっとした間違いは仮装のチョイスだったのだが、それはフランの口から語られることはなかった。
「エリス、一緒にパーティーに出なぃ?」
さて、上手くいかない者もいれば上手くいく者もいる。大体その数は、バランスが取れているのかもしれない。
ごく平和な者たちの代表と言えば、この二人だったかもしれない……“ぐうたら”ナギリエッタは、当然のようにエリスをパーティーに誘っていた。
「いいけど……仮装できるものなんて持ってないわよ」
ただ、仮装パーティーだという話はエリスも聞いているようで、首を傾げている。
「何も用意していかなくても、メイド服は貸してくれるんだって。ボク、エリスのメイドさんになるのも良いけど……でも一緒に仮装考えよぅょ?」
準備から一緒にと誘われて、エリスも笑みを浮かべて頷いた。
「そこ、目が飛んでるわよ」
「む……」
一方、“銀の飛跡”シルフィスは、兄“紫紺の騎士”エグザスに編み物の指導をしていた。お互い、どうしてこんなことになったかわからないといったところだが……原因は“陽気な隠者”ラザルスの振った話にあるらしい。だが、思い出話の果てならば、責任は均等にあると言ってもいいだろうか。
シルフィスはその指導の合間に自分のプレゼントを仕上げていたが、エグザスはそれよりずっと単純なものなのに、なかなか仕上がらないでいた。
「間に合わないわよ、急がないと」
「わかっている」
「……不器用じゃないはずだけど、やっぱり慣れと不慣れはあるのね」
「そりゃあるだろう……初めてなんだからな」
そんな会話が、前日のものだった。それでもどうにか間に合って。
それぞれに準備を終えた者たちが、当日はランカーク邸に集ってくるはずだった。
●慧老の月、章下の31
陽の昇り切る前から“闇の輝星”ジークは、仮装とプレゼントの支度だけにしてはかなりの大荷物を持って、ランカーク邸を訪れた。ジークの恋人であるカレンは寮の部屋にいなければランカーク邸にいるので、ここはジークにとってはそれなりに馴染みのある場所だ。
「おはよう……早いのね」
カレンが出てきたとき、ジークはカレンの見慣れない服装に目を見開いた。ランカーク邸の使用人のお仕着せは見たことがあるので、それは初めて見るものではなかったのだが。たしかカレンが着ているのを見るのは、初めてだった。
それは、季節を考えれば寒さが可哀想になるほどのミニスカートだ。腿までの長いソックスを穿いているから、見た目ほどは冷えないのかもしれないが。服そのもの、それ自体としては、確かに可愛らしいが……上半身は胸元を強調するような、カレンの嫌いそうなデザインなので、カレンは着たところをジークには見せないようにしていたのだろうとは思われた。
じっと服を見られていることに気付いたのか、カレンは嫌そうに眉を顰める。
「好きで着てるんじゃないのよ」
仮装で着るような服がないから仕方ないのだと、渋々着ているのだとカレンは主張しながら、2階にある会場の部屋へ案内すると言って、玄関ホールの階段を登っていく。
それを見上げて……ぎょっとしたジークは急ぎ足でカレンを追いかけた。ぴったりカレンの後ろについて、囁く。
「今から仮装でなくてもいいんじゃないのか?」
「うるさい人がいるから」
うるさい人というのは、ランカークだろう。それ以外の者のことは、カレンは気にすることはないだろうと思われたので。
「それなら……一応カレンの分の服も借りてきたんだが、今から着るか?」
考え込みながら……カレンは「どんなの?」とジークに訊ねた。
ジークよりも先に到着していたのは……ジークにとっては、ある意味幸いなことに女の子ばかりだった。主催者であるクレアと、そのおまけであるルーとフラン。それから“春の魔女”織原 優真と“真白の闇姫”連理が、優真のリエラのシャルティールと共に。シャルティールが男ではあるが、リエラは枠外として良いだろう。
フラン、優真、連理、シャルティールの四人は、厨房でパーティーに饗する菓子や料理を作っていた。ランカーク邸のコックも料理を作っているので、優真たちはどちらかと言えばお菓子類がメインだ。
「だいぶ、お上手になりましたね」
優真に教わったクッキーを作っているフランに、優真はそう話しかけた。
フランも、優真に笑顔を返す。フランは今の型のお仕着せはさすがに恥ずかしかったか、少し古い型の長いスカートのお仕着せを借りて着ている。
「まだまだです……でも、少し練習したんです」
以前よりは少し慣れた手つきで、フランはクッキーを作っていた。この服を借りるのをあえて選んだのは、このためもあったようだ。
それを見て、自分もと優真は手を動かし始めた。
この作業の間も、もう皆ランカークの要望というか――横暴が正しいか――のおかげで仮装をしている。
優真の仮装はいつもより上等のワンピースで、背中に翼をつけたものだった。動くときに翼がぶつからないように気をつければ、エプロンはつけているので、優真は困らないが……
優真の後ろにくっついている連理は、ずいぶんと重そうな楼国の衣装に身を包んでいて、厨房の中ではあちこちには動けないでいた。もう一人の優真のおまけ、シャルティールは黒い服に猫耳と猫尻尾をつけた猫の仮装で、その場の中ではもっとも動きやすそうなものだったが……極めて不機嫌そうな顔で壁際でじっとしている。そうしていれば注目を浴びずに済むとでも言いたげに。たまに連理と視線が合ってにやにや笑われたり、連理が衣装を引っ掛けて椅子を倒したところを逆に鼻で笑ったりとしながら。
さて、その頃クレアとルーは会場となる広間で、カーテンや花飾り布飾りをつけていた。この後は、椅子や机を並べる予定だ。そこへ二人とも楼国の着物に着替えたジークとカレンが、ちょうどやってきたサワノバとエグザスと共に2階に来て。
「あ、カレン着替えたんだ。そっちのほうがいいよ、その服綺麗〜! サワノバも、エグザスもこんにちは!」
会場に入ってきたクレアは、にこやかに振り返って言った。
「そうだ、カレン、連理がさっき探してたよ」
それから、そう続ける。
「連理が?」
「今は厨房のほうにいると思うけど。そろそろ机並べるから、冷めてもいい料理なら運んできていいよ。ルーと一緒に行ってきて」
と、来たばかりのカレンにルーをつけて、クレアは二人を追い立てるように広間から送り出した。ジークはついていってしまうが……どちらがいいかとクレアは数瞬考えたが、送り出すほうを選んだようだった。ジークはカレン以外の娘に興味はないだろうから、ルーに近づくこともなかろうと。
クレアがそんなことを考えているのは、サワノバにも見当がついた。しばらく見ない間に、クレアは頭の回転も大分しっかりしてきたような気がする。その分、ルーへの保護者ぶりはやや過保護になってきているのかもしれないとサワノバは考えたが、ここで無理にルーを引き止めることに意味もないように思えて……ただ、残った人数に愚痴るように頭を掻いた。
「なんじゃ、設営に人が少なすぎんかのう」
来た分と同じくらい減った広間で、サワノバが首を傾げる。
「三人でもどうにかなるよ、後は机と椅子を並べて、テーブルクロスをかけるだけだし」
花のある季節ではないので、各テーブルに置く花瓶に活ける花も少ない。
「じゃあ、机並べちゃお……っとその前にサワノバとエグザスは着替えてきたほうがいいかな。ランカークったら、準備から仮装してなきゃって言うんだよ」
あはは、とクレアは大笑いしながら言う。会場を借りてる手前、ランカークの主張には従っているらしい。クレアは赤いドレスに妖精の羽を。出て行ったルーは、丈を合わせた男物のタキシードを身につけていた。
「わしは着替えるのは簡単じゃ。ほれ、この南国衣装じゃからの」
そう言って、サワノバは袋から大柄の花模様のシャツと短パンの衣装を出す。
「うわ、カマー教授の好きそうな衣装だね! そこの扉開けて、向こう側に二部屋控え室があるから。まだ貼り紙してないけど、右が女性用で左が男性用ね。そこで着替えてくるといいよ」
「私は、着替えても大して変わらないんだが」
そこで、困ったようにエグザスが言う。
「そうなの?」
「礼装なので。妹とラザルスとセットで仮装なので、私一人では仮装に見えん」
「支度はあるんでしょ? なら、それでも着替えておいたほうがいいよ。言い訳はいちゃもんつけられたときにすればいいし」
「そうか……では」
「すまんな、じゃあすぐ戻るでの」
そう言って、エグザスとサワノバが控え室に向かうと、後ろではがたがたと隅に寄せてあったテーブルをクレアが動かし始める。
サワノバもエグザスも着替えて戻ってくるとそれを手伝い、テーブルのセッティングを始めた。
「おお、カレン、着替えたのじゃな。楼国の町娘のようじゃの……悪くないぞ。一つ気苦労が減って良かったのぅ。そなたの気苦労が不憫での、何か力になってやろうかと思うたのじゃが」
厨房で優真の後ろで椅子を複数使って座っていた連理に、カレンは後ろから声をかけると狐の仮面を頭に上げながら連理が振り返った。
椅子をたくさん使っていたのは、衣装が広がるからだ。支えがないと引きずってしまう。大体いつも連理はレヴァンティアースの服に比べればやや重そうな、故郷楼国……レイトエルメシアの服を着ているが、今日は一際重そうである。何枚重ね着しているのかと思うような見た目の着物の名は、十二単と言うらしい。飾り襟もあるので見た目通りの十二枚ではないようだったが……相当に動きにくいことは容易に想像できた。
「私の故郷の伝統衣装は、割と楼国の服の作りに似ていると思ってたけど……着てみたら、全然違ったわ。楼国の服は、思ったよりずっと動きにくいわね。いつもこんなのを着ているの?」
それなのにさほど苦労もない顔で振り返った連理に少し感心したのか、カレンは連理に問う。用意してきた本人であるジークも、自分の着た楼国剣士の衣装を見下ろして、同意する。
「袖が気になるな……この、袖が長いのはなんでなんだ?」
「袖の長い理由は妾も知らぬな。夏が暑いのでの、風抜きではないかの。服は地方にもよるのぉ。レヴァンティアースに近い服を着ておる地方もあるのじゃ……まあ、それでじゃな」
怪盗からの予告状を貸すように、連理はカレンに求めた。
「気苦労の多いことじゃしの、怪盗については妾が予知してやるのじゃ。それで少しは、楽になろ?」
厚意を断る理由もなく、カレンは予告状を取ってくると言って厨房を出て行った。
その間に、ルーはクレアから料理を運んでくるようにと言われた伝言を優真に伝えに近づく。
「はい、普通のお料理はまだ後のほうがいいですね……冷めちゃいますから。前菜と軽食のお皿から、持っていくといいと思います」
優真が厨房のテーブルに並んだ皿のいくつかを指して、ルーがそれを取ろうと手を伸ばしたところで。
「大丈夫ですか?」
優真にふと問われて、ルーは顔を上げた。
「……平気よ」
少し逡巡しつつも、ルーはそう答える。
「やっぱり私も、一緒に運びましょう。カルディッシュが焼けるまで、時間がありますし」
優真は、ルーの手から皿を一つとった。
「大丈夫よ」
戸惑いをやや強くしながらも、ルーはそう繰り返したが。
「いいえ、私がルーさんと仲良くできればいいなと思っているからですから……一緒に運びましょう」
「…………」
そこでルーは黙りこみ、もう一つ皿を持って厨房を出て行った。懐かない猫を見るような気持ちで、優真も苦笑いを浮かべつつもそれを追いかけて、シャルティールも大皿を持ってそこに着いて行き。
そんな三人とすれ違うように、カレンが厨房に戻ってきた。
「これなんだけど」
そして封筒に入ったカードを連理に差し出す。
「ふむ……手早く済ませてしまうとしようかの。闇主や」
連理は自分のリエラの名を呼んだ。
「見せておくれ、このカードにまつわる未来をの」
そしてしばらく黙り込み、再び口を開いた時には笑っていた。
「なんじゃ、そういうことか」
「……何だったんだ?」
怪盗を取り逃がせばきっとランカークに叱られるのであろうカレンのために、ジークも捕り物の支度は用意してきていた。荷物が大きかった理由の半分は、そのせいだ。
「まあ、気に病むことはなさそうじゃ。立場上放っておく……わけにもいかんのじゃろが、頑張らんでも良さそうじゃな」
「どういうことだ?」
「まあ、耳を貸すがよい」
ジークとカレンを手招きし、その顔が近づいたところで、連理はぼそぼそと見えたものを耳打ちした。
夕刻になる前には無事様々な準備は終わって、夜になると順に客人たちがランカーク邸を訪れていた。
玄関でクレアに交換用のプレゼントを渡し、代わりに数字の書かれたくじを引く。仮装のままで訪問したツワモノ以外は、そこからカレンやフランが広間の隣の控え室まで案内して、そこで着替えることになる。
会場ではルビィが司会役として、おもしろおかしく喋っていた。人が揃う時間までは、そんな感じでパーティーは進められ。
冬カボチャをくりぬいて作った被り物を頭に被ったガッツは、更にメイド服も借りて着て、どこのはぐれリエラかという風情で会場をうろうろしていた。
そこに、やはりやや長身のメイド服の美人が近づいてくる。中身がラザルスだということには近づいた時点でわかった。
なんとなくメイド服同士、ライバル心が起こったか、見えない火花が散る。わかりやすく化け物じみているという意味で、会場内の評価はガッツの仮装のほうに傾いていたようだった。
「むう……! いや、わしのライバルはイロモノではないのじゃ」
ラザルスは微かな敗北感を抱えつつ、完璧な女っぷりを見せつけるべく次の獲物を探した。この日のために、発声練習までしてきたのだから。
だがしかし。
「お綺麗ですね」
と、にこにこと優真。
「お綺麗ですね」
と、にこにことフラン。
なんだか敗北感だけが募っていく結果に、ラザルスは壁に向かって膝を抱えたい気分になってきた。
「天然には勝てないわよね」
更には、そう、後ろについてきていたシルフィスに追い討ちをかけられる。
「あの、エグザスさん……私、何かラザルスさんに悪いことを言いましたでしょうか……?」
珍しく落ち込むラザルスを見て、フランがおろおろとエグザスに訊ねてくる。それにエグザスは苦笑いしながら、首を振った。
「いいえ、レディはお気になさらないでください」
シルフィス発案の紳士淑女使用人という三人セットの仮装なので、彼らは三人で移動していた。そこにフランが加わっても、フランも普通にメイド服なので違和感はない。その一角は仮装らしくなく、普通の装いに見えた。
「あ……今はフランか、フラウニーと呼んでください。レディの格好ではありませんから」
「はぁ……レディがそうおっしゃるのでしたら……で、その、フラン?」
さっきから隣に立っているのは、何か用事があるのだろうと思い、それをエグザスは促した。
「はい、クッキーは如何でしょう?」
たくさん焼いたんですよ、と、フランは押していたワゴンの上の皿を示す。フランはティーセットとクッキーを載せたワゴンを押して、お茶とクッキーを配って歩いているらしい。
「……いただきます」
その様子を見ながら、シルフィスは兄に言ってやらなくてはならないと思っていたことを飲み込んだ。まだ、後でも良いだろうと。
それはフランの前で言うのは、やはり酷ではあるだろうかとも思えた。フランにとって、エグザスが特別であることは間違いない。ならば、エグザスは少し立ち止まるべきだと。大切なものを失ったときの、その喪失の大きさを知っているなら、深入りはすべきでないと。
それを聞いたならフランはどう思ったか、シルフィスは知る由もなかったが。この後に耳打ちした折のエグザスの反応は、概ね予想通りではあった。
さてラザルスは、その後も何人かにチャレンジを続けた。
「何か用?」
と、さっぱりとカレン。
「…………」
と、あっさり無視がエリス。
「あの人、エリスの知り合ぃ? でもエリスのほうが綺麗だょ」
と、興味がなさすぎて誰だかもわからないナギリエッタ。
「背が高すぎるのぅ、減点1じゃな。生の女の色気とは、そうではないのじゃ。減点2じゃな。美しさとは内面から出るのじゃ、そなたには驕りが見える。減点3じゃな。む、続けると点がなくなりそうじゃな、まだ聞きたいかえ?」
最後に連理の辛口マシンガンを食らって、ラザルスの敗北は決定的となった。
「この仮装、失敗したかと思ったけど、そうでもなかったわね……まあ、気を取り直しておとなしくパシリをしてるのね?」
いくら上手く女装出来ても、見せ付けたら悔しがってくれるような相手が皆無だったというところがラザルスの敗因だった。そんなことになるとは、流石にシルフィスも予想はしていなかったけれど。
「なんだ、この下品な音楽は」
パーティーは恙無く進行……とはいかなかったようだ。ルビィの趣味はクレアには受け入れられたが、ランカークと合わなかったので。一回目のダンスタイムが始まったところでルビィの演奏でアップテンポの激しい音楽が始まって、そこでとうとうランカークの怒りに触れたのである。
音楽は中断。道化師の仮装をしたアベルが仕方なくランカークを宥めている間に、エグザスが代わりに演奏を始めて、ようやく事なきを得た。
静かな音楽に変わったところで、サウルと優真が踊り始めたのも大きかっただろう。二人は綺麗な音楽に合わせて、綺麗なステップを踏んでいた。それで、ランカークも怒鳴り散らすのを止めたようだ。騒ぐのはまずいと思ったのだろう。
「つっまんねーの」
こういうおっとりした音楽があまり好きではないルビィは、やはりぶつくさ言ったが……ルビィの趣味が『上流趣味』と相性が悪いのは、元より明らかだ。
会場の飾りつけにはルビィは口を出さなかったので、そちらはフランとルーの意見で整えられている。こちらの二人はまさに上流の生まれであるので、ランカークの趣味から大きく外れたものにはなっていなかったのだが。……音楽においては、それはまずそうだと二人は思っていただろうが。だが声が大きく押しの強いルビィは、二人にとっては出来れば敬遠したいタイプで、それをおして忠告できるような二人でもなかった。
「大変じゃのう……」
一段落したところで、サワノバがクレアとフランに近づいてきた。
「うーん、こんなに怒ると思わなくってさぁ」
クレアが苦笑いを浮かべてサワノバに答える。
「すみません……ランカークさんはああいうのは駄目そうだと、申し上げておけば……」
フランが恐縮している。
「ああ、フラン嬢ちゃんのせいではなかろうて。そんな顔はするもんでないの、せっかくのパーティーじゃ」
クッキーとお茶を配って回っているときのフランは、良い笑顔だったとサワノバは言った。具合もだいぶ良くなっているだろうと思えるほどには。
ネイとレダと回ってきて、サワノバはそちらも明るい笑顔を取り戻していることを確認してきた。あとは……と、クレアに訊ねる。
「ルー嬢ちゃんは、どこなんじゃ? 姿が見えないが」
「女子の控え室にずっといるよ。プレゼント見張ってもらってる。人ごみは好きじゃないんだよね」
「なんじゃ、相変わらずじゃのう」
「……そう簡単には変われないよ」
悟ったようにクレアは答える。
そのとき、わあっと歓声が上がった。
「に、似てる、そっくりだょ!」
「演技の才能はあるかもね、これを用意してたんだ」
一際高い笑い声に、その場の者たちも振り返る。
「……ああいうのは、平気なのかの?」
ランカークがまた怒り出しては興醒めになるだろうと、思わず声を潜めてサワノバが聞くと、やや後ろにジークと二人で立っていたカレンから答えが返ってきた。
「ああいうのは、平気よ」
かえって興味を持って、自分から近づいて行くぐらいだと。
「そうかの、ようわからんのぅ」
気がつけばカレンの言う通り、ひょこひょこ盛り上がっている場所の近くへ、ランカークが覗きに行っている。
「それではまあ、わしも次へ行くとしうようかの」
とはいえ、次にと思っていたルーのいる女子の控え室まで訪ねていくわけにもいかず、クレアとフランに挨拶を終えると、最後の一人に向かってサワノバは会場をまた泳いでいった。
それは、先ほど盛り上がっていた一角だ。
人が集まってきていて、誰かを中心に、ランカークの他、踊り終わったサウルと優真たちもいる。
サワノバの目的は、その中のドレス姿の女の子二人。一人は清楚なドレスに小麦の穂を持っている。一人は可愛いドレスだが犬の尻尾がついていて、頭には犬の耳。そして、少しごつい首輪をはめていた。小麦の穂を持っているほうは、ぎりぎり説明を受けなくても、フォリア神の仮装だとわかる。フォリア神と一緒にいて犬なのだから、おそらくラサゴ神の仮装だと……苦しい連想をしながら、サワノバはその二人、エリスとナギリエッタの元に辿り着いた。
ちなみにどちらがどちらかと言えば、エリスがフォリアで、ナギリエッタがラサゴである。
「こんばんはぁ」
少し酔ったような赤い顔で、ナギリエッタが挨拶をしてくる。
「元気そうでなによりじゃな」
「……そうね。ナギリエッタ、飲みすぎないようにね」
「はぁぃ」
うふふ、と笑いながら、ナギリエッタが返事をする。その返事をしたそばから、ナギリエッタはぐーっとグラスを空けた。『ほとんどジュース』というもののようだが、ほんの少し風味付けが入っているようである。
「おお、良い飲みっぷりじゃな。流石に良い酒と美味い料理が揃っておるしのう。わしも満足じゃよ……エリス嬢ちゃんも良い顔じゃ、保護者の顔じゃがの」
「……目が離せないから」
「そうかの、まあ、大切なものがあるのは良いことじゃ……ところで、何を笑っておったのじゃ?」
サワノバがそう問うと、珍しくエリスもくすりと笑って。
「自分で見てみるのがいいわ」
そう、指し示す。
輪の中心にいる人気者は誰だったかと言えば、テムだった。
「似てる似てる。そんなだったなあ」
アルメイスの制服を仮装だと言い張って着ているサウルも、声をあげて笑っている。
仮装で一番ウケるものは何かと言えば、誰もが知っている者の姿を真似ることだ。それが滑稽であればあるほど、笑いを取れる。
テムの仮装は、その基本に基づいていた。アルメイスにいれば、多分誰もが知っている有名人。カマー教授の仮装である。
「ねえ、お願いよ!」
あちこちで探し物をさせられたり、駅にいけば荷運びをさせられたり、アルメイスで生活していれば一度もカマー教授に出会って苦労した記憶のない者は多分いないだろう。
そのカマー教授の服を真似、口調を真似て、テムは喋っていたのだった。見た目がそっくりというわけではないが、滑稽さは十分似ているというところだ。思惑通りテムの周りには人が絶えず、にぎやかに年が越せそうである。
「これは……確かに笑えるのう」
見れば思わずぷっと吹き出してしまいそうな滑稽さで、サワノバも笑いそうになった。
そんな賑やかな会場の裏側で。
「あれ? 何して……」
くさって会場を後にしたルビィは、女子控え室を覗いて、あるものを見た。
なぜルビィが女子控え室を覗いたのかは、問わないことにしよう。多分、覗きたかったのだ。その理由は本人以外の誰にもわからない。だが、覗かずしてその現場に居合わせることはできなかった。
たまに、そういう悲劇はあると思われる。ともすれば覗き魔とか痴漢の汚名を生涯背負っていくことになるだろう。なので何も考えず、自制心で制限せずにふらふら歩くのは考えものである……という教訓を残し。
ともあれ、ルビィは特に警戒していたわけではなかった。それは、たまたまだったからだ。そして、そこは警戒するべき場所ではなかったからだ。
だが、指摘しようと扉を開けてその者に近づこうとしたところで……後ろから襲いかかられる気配に反応して、ルビィは半分振り返るように飛び退った。そして飛び退ったところで、やはり後ろから、女子控え室の中にいた者に一撃鈍器で脳天に食らった。
ルビィの意識はそこまでだった。
「……やりすぎたかしら」
思わず、と、殴った者は言った。
「あー……平気じゃないかな……丈夫そうだし」
まさか、男子が覗くとは思わなかったねえと苦笑いが漏れる。ルビィの息があることと、怪我を確認して。
「ただの脳震盪かなあ。後で、誰か回復能力使える人を探して頼んでおこ」
病気でなく外傷ならば、回復能力で回復させれば万が一でも酷いことにはならないだろうかと。ただ、女子控え室を覗いた者を殴打したと言ったら、女子は協力してくれないかもしれないという問題はあったが。
そもそも、たまたま目撃さえしなければ、こんなことにはならなかったはずではある。その場に居合わせてしまうことは、運が良いとは限らない。ルビィの運が悪いのだと言えば、そこまでだった。年が明けたら運気が上昇することを祈るしかない。
とりあえず、二人はルビィを使われていない部屋に連れて行って寝かせると、また元の場所へと戻って行った。
●銀嶺の月、聖碑
何度かのダンスタイムの後、フランが窓を開けた。暖房機で暖められていた室内に、冷たい空気が急に流れ込んで、客がざわつく。だが、そのざわめきはすぐに歓声へ変わった。
「時計塔の鐘が」
日付が変わる時刻を知らせる六点鐘が鳴る。この日付の変更は、年の変更でもあって。
「今年も、あなたにいい年になりますように」
「おめでとう!」
新しい年を祝う言葉が交わされる。
そして、皆で交換するものとは別のプレゼントを持ってきていた者は、それぞれ目当ての相手にプレゼントを手渡していた。
「エリス、これ」
ナギリエッタは、薄紅色の毛糸で編んだ帽子をエリスに渡した。
「これで帰りに雪が降ってても寒くないょね」
「ありがとう……私も用意したのよ、ナギリエッタ」
「これは……」
ナギリエッタがエリスから受け取った包みを開けると、中からは銀のロケットペンダントが出てきた。
「ナギリエッタが喜びそうなものってわからなかったから」
蓋を開けると、文字の書かれた紙が入っている。
「……迷子札……」
ちょっとどうしようかと流石のナギリエッタも思ったが、エリスは大真面目らしい。
「知らない人について行っちゃだめよ」
「……ぅ、ぅん……」
「カレンさん」
カレンにはジークからと思いきや、そうカレンを呼んでプレゼントを渡したのはカルロだった。
「私?」
「そ。はい、これ」
「何……?」
瓶に詰めた液体は、自作の化粧水だとカルロは告げた。
「女の人は自身をキレイにする権利と、それ以上に義務を持ってるんだよ」
肌は大切にしないといけない、というわけだ。肌荒れに効くように、カルロが自分で配合したのだという。
「でも私に? いいの?」
だが、カレンは自分にと言うのが意外だったのか、まだ首を傾げている。
「いいんだよ、友達からのささやかなプレゼントだから受け取って」
「それなら……」
カルロの言葉に、カレンの表情が戸惑いから笑顔に変わる。
「ありがとう」
「どういたしまして。じゃ、ジークと仲良くね」
そう言って、カルロは立ち去る。
「…………」
「どうしたの? ジーク、変な顔して」
「いや……なんでもない」
少々微妙な顔で、ジークは首を振った。
会場の人波を泳いで、カルロは次の相手に向かって歩いていた。その肩に後ろからロザリアが乗る。
「ずいぶんと大人ね」
「と、何がだい?」
そしてカルロの耳元で言った。
「プレゼントよ」
「あの二人には幸せになってほしいよ。好きな人たちは暖かく見守るのが、僕の愛の形なのさ……自分で言っててちょっと寒いな」
「そんなことないわ。私はびっくりだわ、いつの間にそんなに大人になったのかしら」
「そう?」
「ところで誰を探しているの?」
「ガッツ君だよ」
「なんで?」
「ガッツ君にプレゼントがあるんだ。喜ぶと思うんだけど、黒砂糖」
そこで、ロザリアは黙った。
「……いつの間にそんな大人になったのかしら」
そして、ぼそりとつぶやく。
そのつぶやきが、ごく一部、先のものと違っていたのはカルロにはわからなかった。
「はい……これ、良かったら使ってくださいね」
そのまま首にかけても不自然な格好ではなかったので、優真はサウルの首に手編みのマフラーをかけた。
「ありがとう」
サウルは驚くでもなく微笑んで、マフラーを首に巻く。
「僕からのお返しは、大したものじゃないんだけど」
「お返しですか?」
そもそもサウルに用意があったことにびっくりしながら、優真はポケットを探るサウルを見つめた。
「はい、これ」
差し出されたのは封筒だった。中を開けると。
「これは列車の切符……?」
優真の後ろでシャルティールがすごい顔をしていたが、優真は気づかない。
「む……何を妾を差し置いて、話をしているのじゃ! 何の切符じゃとぉ?」
酔っ払った連理が二人の間を割るように突っ込んでくる。よろけたはずみに、連理は不本意ながらサウルに抱きかかえられ。
「はは、心配しなくても、ちゃんと三人分入ってるよ」
微妙に不安要素を逸らすようにサウルは笑った。
「あ、帝都行きの切符じゃないんですね、これ」
「アルメイスから帝都に向かう途中の湯治場だよ。そんなにアルメイスから遠くない。多分銀嶺の間は僕はそこにいるから、良かったら休みの日にでも遊びにおいで」
レヴァンティアースより北の地方は蒸気サウナと沐浴が主流で、長く湯に入る習慣はあまりない。湯治は楼国から来た者が持ち込んだか、あるいは南方の国境の辺りの習慣だ。
「美人の湯なんだって」
日帰りは少し厳しいが、一泊二日ならどうにかなるだろうという。
「どこへ行くと言うのじゃー! 三人分などには誤魔化されぬ……っ」
連理はじたばた暴れていたが、衣装が重いので抱えられた状態から脱出できないでいた。
「じゃあ、いただいておきますね」
連理をどう宥めようか考えながら、優真は切符を持っていたバッグにしまった。
六点鐘が鳴る間に、挨拶とプレゼントの交換は行われていた。それぞれの場所でというところで、時間にするとそんな長さではなかっただろう。
「その……フラン?」
悩めるエグザスだったが、彼もプレゼントを持って目的の人物に近づいた。
「寒くはありませんか」
まだ開け放った窓の前に、フランはいた。
「すみません、今閉めますね」
鐘の音が鳴り終わったところで、窓を閉める。
「いいえ、貴女が寒いと……風が入ってきてましたから」
窓の前に居たフランが一番冷えているだろうと。心を決めて、エグザスは自分の手編みのマフラーをフランにかけた。
「少しは暖かいと良いのですが」
「ありがとうございます……お借りしますね。どなたかに編んでいただいたのでしょうか?」
時期のものなので手編みのものが多くなるのはわかっても、流石にフランもエグザスが編んだとは思わなかったようだ。
「ええと……いえ、その、それは差し上げます。私からのプレゼントで……私が編んだので、やや不恰好ですが」
「まあ……! ありがとうございます。こんなプレゼントをいただけるとは思わなくて、私……」
ちょっと戸惑ったように、傍らにあったワゴンの下の段から、包みを取る。
「クッキーしかないんですけど……後で、食べてくださいね」
先ほど皿にあった分とは別に、可愛い紙に包まれているので、元々渡すつもりで取り分けてあったのだろうとは思われた。
「ありがとうございます。いただきます」
遠慮するようなものでもなく、穏やかに交換は行われて。
「じゃあ……プレゼントの交換をいたしましょう」
それから、フランは声をあげた。
「皆さん、くじを持ってこちらに」
プレゼントは、今はフランの押していたワゴンに乗せられていた。
プレゼント交換というイベントに至って、誰もが噂の怪盗を思い出したが、まだワゴンの上にある大小様々なプレゼントがすべて揃っているのかどうかもわからない。
テムは、きょろきょろと辺りを見回した。怪しい人物がいないかどうか。パーティーの間も気をつけてはいたのだが、それらしい人物はここまでには見つからなかったのだ。
現れるなら、このタイミングだと思っていた者は多い。
「お持ちの番号と同じ番号のついたプレゼントを持っていってください。くじの都合で、番号は飛んでいるかもしれません」
フランの説明に従って、順にプレゼントを受け取っていく。
「なんだこりゃ?」
ガッツが受け取った包みを開くと、ボードゲームだった。【素晴らしき料理の世界】と箱には書かれている。
「これは、割と実用的だな。誰のだろう」
ジークが受け取ったものは、指の抜かれた革手袋だった。手首にベルトがついていて、サイズは変えられるようになっている。剣を握る者が、滑らないようにと選んだものであることは間違いなかった。
カレンのほうを見下ろすと、自分じゃないと言うように首を振る。
「私のは……」
辺りを見回して、カレンは冬用の耳まで覆う毛皮の帽子をかぶってみているテムを指した。
「あ、これ、カレンさんのなんだ」
テムのほうも気が付いて、カレンたちのほうを見る。
「ありがとう、暖かいよ、これ」
「サイズ、大丈夫だったかしら」
「平気だよ。高さがあるから、中にアバッテンも入りそう……カレンさんは何もらったの?」
「私は……」
そこで、カレンが包みを開けると。
「猫耳のアクセサリーと……写真?」
「あ、それ、僕のだ」
そう言ったのはカルロだった。
「そう上手くエグザス先輩のところにはいかないか」
カルロのつぶやきに、ぴくりとエグザスは反応する。
「私のところで、猫耳で、写真……?」
嫌な予感がしたようだ。
「これって、一昨年の……」
そしてエグザスは、目にも留まらぬ速さでカレンの前まで走った。カレンが言い終わる前に。
「交換しよう!」
エグザスはカレンの手から写真を奪い、確認することなく内ポケットにしまう。
「いいけど……」
猫耳も渡して、カレンはエグザスから未開封の包みを受け取る。エグザスは胸ポケットを押さえつつ、息をついた。何故とかどうしてとか何を考えてとか、カルロに言いたいことはあったが、とりあえず被害が出る前に押さえたことに安堵する。
改めて、カレンは包みを開いた。中から出てきたのは、今度は銀のナイフだった。
「そいつは、俺のだ」
ジークが嬉しそうに言う。誰の手に渡っても良かったが、巡り合わせでカレンに渡る縁は悪い気はしなかった。
「そうなの……ありがとう、大切に使うわ」
その一角では惨事は避けられ、ほのぼのと丸く収まって。
さて、また一方では。
「私はブローチだわ。高そうねぇ」
シルフィスがプレゼントを明かりに照らし品定めして、言う。誰からのものかはわからなかった。
「ラザルスは? 何だったの?」
「ううん、なんじゃ……? 猫の置物じゃ」
「招き猫と言うのじゃ〜、それは〜」
ラザルスが受け取ったものは、連理の持ってきた招き猫。福を呼ぶ置物だと、酔っ払いながらも説明をする。
そして連理が受け取ったものは、自動人形だった。
「優真はなんじゃった〜?」
「私は、オルゴールボックスみたいですね……ちょっと大きい……」
ああ、それ、僕のだ、と横でサウルが言った。
「オルゴール盤を替えると曲の変えられるものだよ。替えの盤も下の引き出しに何枚か入っているから、箱が大きいんだ。重かったかな、ごめんよ」
「サウルさんのなんですね。ありがとうございます。これくらいなら、どうにか持って帰れると思うので……サウルさんは、何を?」
「僕は手袋だった。手編みだね」
「ああ、じゃあ、私のだわ」
そう、シルフィスが言う。それでそこは、大体一周というところだろうか。
「参考書の束……」
プレゼントを開いて悩んでいたナギリエッタに、テムが申し訳なさそうに告げる。
「それ、僕のだ……ゴメン、なんか思いつかなくてさ」
役に立つとは思うんだけど、と言うテムにナギリエッタは大丈夫だと告げる。
「べ、勉強しなきゃいけないょね!」
少しおろおろしながら、ナギリエッタはエリスを振り返り。
「エリスはなんだった?」
「箱にコインが入っていたわ」
訊ねると、エリスはそう答えた。
アベルが受け取ったものは、劇のチケットだった。誰の用意したものかはわからない。
フランにはからくり仕掛けの置時計が、ランカークには万年筆が行ったようだ。巡り合わせとしては悪くないほうだったか、ランカークもまあそれなりという評価だったようで、今は機嫌も悪くはない。
このプレゼント交換で、割を食った者はと言えば、サワノバとカルロだった。サワノバは自分のところに自分のプレゼントが戻ってきてしまったのである。
そして、カルロは。
「ない」
自分の持つ番号の振られたプレゼントがなかったのだ。誰も持っていっていないプレゼント自体はいくつか残っているのだが……
そこで……
室内灯の明かりが、ふっと消えた。
なんだなんだと暗闇の中で誰もが様子を窺っていると。
がたんと言う音と、ばさりと衣の音がして、少し離れた窓が開いたようだった。冷たい空気が何処からか流れてくる。
「ふはははは」
しばらくして、くぐもった声が響き渡った。
「む、さては! 怪盗め! 僕へのプレゼントを盗んだなー!」
「黄金のランカーク像はいただいていくっ」
「なんだとうっ」
と、叫んだのはランカークだ。
「そこに人影がっ」
テムが指し示す先に、マントの影がたなびいている。
「捕まえられるものならば捕まえて……あれっ……うわ!」
そこで再度異変があった。いつの間にか近くに行っていた者がいたようだ。
そこで、アベルは別の場所で物音を立てて怪盗に逃げる隙を与えたが……
怪盗はもう逃げられなかったようだった。
消えた室内灯は部屋の外にあったガス栓を閉めたからだ。それを開け、また火を灯して、明かりがいくつか取り戻される。
怪盗の顔が見えると、それはクレアだった。ジークとカレンに両脇を固められている。
「クレアさんが怪盗だったんだ!」
それには本気で驚いたカルロが、近づいて行くと。
「どうして出てくるところがわかってたの?」
「連理に教えてもらったんだ」
「予知は反則だぁ」
クレアは苦笑いして、観念したようだった。持っていた包みをカルロに渡す。
「別に黄金のランカーク像が欲しかったわけじゃないから、いいんだけど……って、これ、血がついてるよ!」
カルロが今日一番驚いたのは、それだった。包みに少しだけ血が付いている。
「えーと、諸般の事情で……」
気まずい顔で、クレアは頭を掻いた。
当然これは秘密の余興だったので、実は盗むものは自分へのプレゼントの予定だったのだが……ちょっとした事故で黄金のランカーク像に変更になったのだと、クレアはちょっとはしょった説明をしたのだった。
●初めての朝の前に
パーティーが終わり、三々五々参加者たちは帰っていく。
控え室は、仮装から着替える者で混み合っていた
「もう18歳になるのかぁ……」
テムは仮装を脱ぎながら、そう呟いていた。先のことも考えなくてはならない歳だろう。
真剣に未来を考えている、そんな横では。
「と、とれねぇ……」
被れたのだから脱げるはずのカボチャが脱げなくなって四苦八苦しているガッツがいた。
「しょうがねえな、パック!」
そういうときは、慌てず騒がずリエラ召喚。
「……何? くだらないにも程がある?」
とはいかないのが、ガッツのリエラである。
「さようですかい……」
隣で見ていたテムとカルロは、ガッツが交信を切る前にリエラが帰っていったような気がしたが、その辺は突っ込んじゃいけないだろうかと黙って見ていた。
「ええと……ちっとこいつを殴り壊してくんねぇか?」
その二人を、ガッツは交互に見て。カルロに視線を向けた。ガッツがもらったプレゼントでは、カボチャのほうが強そうであると言って。
「僕? うーん……一人殺るのも二人殺るのも同じかな」
いや、多分違うけれど。鈍器として使用されるのがこの像の運命なのかも、と、カルロは妙な悟りを開きつつ。
「わかった、いくよ!」
「よっしゃ、こい!」
黄金像を振り上げた。
「うわ……!」
そして後日、目撃者テムは語る。
「凶器は黄金のランカーク像でした……」
「背負っていってあげようか?」
「そうですね……すっかり眠っちゃってますから」
会場の広間では片付けが始まっていたが、その一角ではまだ人が残っていた。酔っ払った連理を膝枕した優真が動けないでいたのだ。
連理は気持ちよさそうに寝ていて、起きる気配はない。
「少し脱がして、上着を着せますから……お願いできますか?」
もうこれ以上は片付けの邪魔になりそうだと、優真も思ったようだ。
「構わないよ、僕はこのままでもホテルに帰れるし」
荷物は預かってもらえばいいし、とサウルはそう答えて。
「うむ……もう飲めぬのじゃ……」
優真とシャルティールも着替えてくると、寝ぼけた連理を背負って、その四人も夜明け前の凍える時間を帰って行った。
「もういいの?」
「うん、後は片付けておくわ……というか、起きた時にまだいると多分機嫌悪くなるから」
最後の客が帰った後、クレアたちにも片付けはもういいとカレンは告げた。大分片付いてはいたので、確かに後は一人でもと言われても問題はないくらいではあったが。
「すみません、本当に」
フランはやっぱり恐縮している。今日は恐縮してばかりだ。
「大丈夫よ、フランもグルなら、怒りはしないわ。でも、パーティー放って結構早く寝ちゃってるから……起きたあと、クレアを見てヒステリーでも起こしたら説明するのが大変そうだしね」
「面倒かけるね、ゴメン! この埋め合わせはするから……」
「大丈夫よ」
そう言って、カレンはクレア、ルー、フランの三人も送り出して。
「ジークももういいわよ。後は掃除くらいだし」
そして最後の一人は、片付けを手伝うと言って残ったジークだった。
「いや、俺はまだ手伝うよ。俺がいても、別に平気だろう?」
「そうだけど……」
「それに俺は、まだ用事があるんだ」
「用事?」
「誕生日おめでとう、カレン。これ、プレゼントだ」
「ありがとう……これ……?」
そこでジークは、後ろ手に隠していた包みを差し出す。
「服なんだが、着て見せてくれないか?」
ジークは包みを抱えたカレンを控え室だった部屋に追い立てる。
「う、うん……じゃ、ちょっと待ってて」
だが、ジークもカレンが女子の控え室だった部屋に入ると、隣の男子の控え室だった部屋に入った。そして、手早く正装に着替えて、広間まで出てきてカレンを待つ。
「ジーク、これ……あ」
薄いピンクのドレスを着たカレンが広間に顔を出すと、ジークは手を差し伸べた。
ジークも着替えていたことに驚いて、カレンはその場で立ち尽くしている。
「綺麗だよ。……俺と踊っていただけるかな、お姫様」
ようやく、おずおずとその手を取るように、カレンは前に出た。
パーティーの間には、警備という役目があって、踊るわけにはいかなかったが……
そして、二人は誰もいない広間で踊り始めた。
初めての朝の光が、差し込むまで―― |