■番外3:湯煙殺人事件■

●OP
 それは銀嶺の月の中頃のことだった。
「ねえ、あなたたち、温泉行かない?」
 カマー教授が「温泉とは」と熱弁を振るう。アルメイスに住む学生には、あまりなじみのない言葉であることもあるだろう。湯にゆっくり浸かること自体が特定の地域にしかない習慣であることもあって。
「それで、アルメイスから帝都に向かう途中で汽車を降りて、南に行ったところに湯治場の町があるのよ。そう大きくはない町だけど、数件宿があってね。町営の温泉施設があるの」
 そこへ、ゼミの合宿を兼ねて出かけようという誘いだった。だが、合宿ならそこまで出かけなくても……というところもあるだろうか。それを問いかけると、実は……と教授は切り出した。
「町長が知り合いなんだけど……頼まれたのよ。賑やかしに、学生を連れてきてくれないかって」
 学生たちは、いわゆる「さくら」というものを期待されているらしい。
「ちょっと不祥事があってね、旅行者が減って寂れているんですって。犯人の一人はもう死んじゃったんだそうだけど……」
 少し前まで、覗きをしていた者がいたのだそうだ。その上、一人で温泉に入っていた女性客に悪さをし、その客が帝都で訴えて明るみに出たのだという。
「前から被害があったのを、町ぐるみで隠蔽していたんじゃないかって疑われているんですって。実際に前から被害はあったのかもしれないのだけれど、知っていたわけじゃない……そうよ」
 訴えた女性は結構な身分の人だったようで、帝都からも捜査官がやってきて、その男を逮捕する段取りだった。だが、実際に逮捕される前に……
「犯人だと思われていた男は、殺されちゃったの」
 そちらの犯人は、今は逃亡中であるという。死体と共にいるところを目撃されて、そこから山のほうへと逃げ出し、それっきりだ。
 逃げている殺人犯の青年には妹がいて、行方を追うと共に、戻って来るのではないかと町には捜査官がまだ張り込んでいるらしい。また殺された男には恋人がいて、当然だが恋人が性犯罪者であったことを信じないと言って、逃げている青年の関係者と険悪な状態らしい。
 そんな中なので、旅行者の足も遠のいているようだった。
「とりあえずはね、賑やかしだから。温泉入って騒いでくれればいいみたいよ?」
 要求されていることは、とりあえずそれだけのようだ。

●到着
 白い稜線が輝いていた。
「わあ、綺麗ぃ」
 “ぐうたら”ナギリエッタは、そう素直に声をあげる。
 雪景色自体はレヴァンティアースでは珍しくないもので、それに感動できるには素直な感性が必要かもしれない。
「本当、綺麗ね」
 だが、帝都やアルメイスほどの大きな街しか知らない者には、小さな町とそこから望む山並みは可愛らしく美しく心に響くものだったろうか。
 エリスが微かに微笑んでナギリエッタに応える。だが、そんなささやかな応答をかき消すような声で更に答えがあった。
「そうよ、綺麗でしょう! このあたり、山に雪は降るけど、晴れる日も多いし」
 カマー教授はこの旅行の招待主であるので、この土地の素晴らしさを主張するのはある意味当然かもしれない。会話に割り込まれたような二人も穏やかな笑顔で聞き流している。
 早朝にアルメイスを出発した列車は雪景色の中をゆっくりと進んで、昼前に小さな駅に着いた。目的地は、そこから馬車でもう少し山側の奥に進んだところだった。
 町の停車場で、一行は乗り合い馬車を降りた。普段は交互に駅と町を往復している乗り合い馬車だが、今日は特別に二台まとめて駅に迎えに来ていた。学園都市アルメイスからの客人は、一度にその町を訪問する客人の数としてはだいぶ多いほうであるからだ。客人の合計の数がその数を越えることはままあるだろうが、一行でその数になることは少ないだろう。
「あそこよ」
 カマー教授が広場に面した大きなお屋敷のような建物を示す。個人経営の宿もあるが、彼らが泊まるのは町営の施設だった。
 見た目の上では平和そのものの町。実情はやや平和ではないかもしれないが……
 この町に帝都から捜査官がやってきたのは、慧老の月の中行のことだった。訴えは帝都のあるうら若き貴婦人からだったようだ。その貴婦人は慧老の月に入るまで、この町に滞在していた。その訴えとは、この町で不埒な覗き魔に不埒な振る舞いに及ばれたというものであったらしい。
 犯罪としては少なくないが、あまり多くはない訴えであることも事実だ。性質的に、泣き寝入る被害者が多いからだろう。ましてや身分ある女性からの訴えというのは、更に珍しい。嫁入り前だったら、本人がなんと言おうと周りが沈黙させたであろう。既婚者であっても、体裁は悪かろう。それでも訴えに及んだのは、当事者である貴婦人が大層気位の高い女性であったかららしい。
 捜査には事件の性質や規模には不相応の人員が割かれ、慎重に、そして迅速に進めなくてはならなかったようだ。そして被害者とその夫に配慮して、誰がどうということはあまり明らかにされないまま、進められた。そういう事情も、どこかでいくらか作用したのかもしれない。
 容疑者である青年が捕らえられる前に、別の青年に殺されるという事件が起きてしまったのも。
「やはり、不可解な事件だな」
 “闇司祭”アベルはそう言って、事件の舞台ともなったその建物を見上げた。
「そうだね、すっきりしないなぁ」
 行きの列車と馬車の中でアベルが事件の話をしてまわったところ、それに興味を示したのは数人いた。今うなずいた“暇人”カルロは、その一人だ。
「早く解決するといいですよね……」
 “春の魔女”織原優真と、“真白の闇姫”連理が視線を交わす。
 結局この話に関わろうと言う者はこの4人だけだった。アベルの誘いには、積極的に協力して共に行動しようというわけではなくても、協力するのはやぶさかではないだろうというところか。人数はやや心許なかったが、能力とコネクション的にはどうにかなるだろうかと、アベルはそんなことを思いながら……
 一行は宿に入った。

●それぞれの癒し
 宿に入り荷物を置くと、めいめいに目的のために動き出す。表向きは合宿だが、慰安旅行のようなものだ。事件を気にかけているのは、数の上では少数派であった。
 “鍛冶職人”サワノバは年越しパーティーの際にプレゼント交換に出したが手元に戻ってきてしまったスノーボードを抱えて、山まで行くと言って出て行く。戻るのは多分夜だろう。
 “陽気な隠者”ラザルスはいくつかある外湯を巡ると言って、やはり出て行った。やはり夜には戻ってきて、今度は宿の露天を愉しむのだろう。
 ナギリエッタはエリスの手を引いて、一番に風呂へと向かった。ナギリエッタは温泉の経験がなく、どういうものなのか知らなかったので、興味深々だったのだ。
 カルロも、事件の調査の前にと風呂へと向かった。覗き魔対策には、曰く付きの『黄金のランカーク像』を持参である。ちなみにモデル当人もこの旅行に参加しているが、最初の風呂では一緒にならなかった……どうやら、黄金像のモデルは素直に混浴露天風呂に向かったらしい。
 深く考えてはいなかったので思わず素直に男湯に足を向けたカルロは、そこで“闇の輝星”ジークと会った。
 岩で固められた湯船に湯が張られていて、そこに入るのだと説明が書かれた板が脱衣所に貼ってある。何も知らない人もいるんだろうと思いつつ、二人は
「なんだい、普通に男湯なんだね。カレンさんは?」
「まだ部屋にいるか……外を歩いているんじゃないかな」
 ランカークの御守がカレンの仕事である。温泉について来たのもそういう理由だ。ランカークの近くにいるだろうということは間違いないと思ったが、ジークはそこまでは言わなかった。仮にランカークが混浴にいても、カレンは体型にややコンプレックスがあって水着姿さえ晒すことも嫌うので、カレンまで混浴に入っているとは思えなかったのもある。そして概ねその予測は正解であった。
「そっちはなんだって、そんなもの持ってきてるんだ」
 ジークはそう言って、黄金のランカーク像を指さす。
「これ? 覗き魔がいたら、こいつでぶん殴るんだよ」
 そう言ってカルロはぶんっとランカーク像を振り回した。
「……って言っておけば、抑止力になるかなあと思って」
「そりゃまあ、そんなもので殴られればただじゃすまないからな。生半可な覚悟なら考えるだろうが……でも、そもそも男湯を覗く奴はいないと思うぞ」
 せめて混浴、と言いかけて、混浴は男女とも見られることを覚悟で入っているのだから覗きにはならないことにジークも気が付く。覗きが発生する場所は、純粋に女湯のみだということだ。
「あ、そっかぁ……でも僕が女湯に入ったら、僕が犯人だ」
 お湯に入るなんて冗談じゃないわというカルロのパートナーは、部屋に備えられていた『こたつ』と言う設備にご執心で、もぞもぞ入り込んで出てこなくなってしまっている。何がそんなに良いんだと覗いて訊ねたら、「本能なのよ」とか言っていたので、多分当分出てくることはなさそうだ。
 後は女湯の見張りなど頼める相手は、カルロには心当たりがなかった。
「うーん、男は覗きの見張りもできないってことかあ」
「迂闊に近づけば、疑われそうだしな」
「近づかなくても、僕は本当は見られるんだけどさ」
 カルロはふと苦笑いを浮かべる。カルロの能力は遠隔視聴であるので。だが。
「見せてもらえるのか?」
「無理だね。まあ、見ようとも思わないけど。冗談でもそんなこと言ったら、どんなおしおきをされるかわかんないな」
「……していないことも、そういうことも証言してくれる人もいるだろうから、カルロは心配ないだろう。そういう意味ではもっとまずそうな者がいそうだが」
「あー、いたね」
 うん、とカルロはうなずいてみせた。他人事ながらどうするのかなあと思いつつ、ぶくぶくと少し白濁した湯に沈んでみる。
 そのとき、割と近くから女の子の声がした。
「えぇ〜、これ違ぅ? エリス〜」
 大きな声だったからだろうが、意外に女湯が近いということがわかる。
 カルロが声のした方をよく見ると、樹ばかりかと思ったら、その向こうにレンガの壁があった。すっかりレンガで囲まれているわけではないようで、一部は木の柵になっている。なので、ぐるっと大回りして柵を乗り越えていけば、覗きに行けそうだ。露天風呂なのだから高い壁で囲みきってしまったら風情がなくなるだろうが、やや無防備な気がした。
「案外近いんだね」
「そうだな、悲鳴が聞こえれば、すぐにわかりそうだ。それならここで張り込むのも悪くはないかもしれないが……」
 女風呂に耳を澄ませているというのは微妙だな、とジークはぼそりとつぶやいた。

 女湯にはナギリエッタとエリスがいた。
 温泉はお湯に浸かるところだと聞いて、温水プールと同じかな? と思ったナギリエッタを責めることはできないだろう。しかもそれに加えて“紫紺の騎士”エグザスが、
「露天に入るのなら水着を着るといい」
 などと女性陣に吹き込ん……いや、提案したので、それでいいと思ってしまったとしても無理はない。それはエグザスにはエグザスの事情があってのことだが、人によってはなんだそれはという話であるのも事実だろうか。
「お風呂は水着を着て入るものじゃないわ、ナギリエッタ」
「そうなの? エグザスはそう言ったょ?」
「エグザスは、自分に疑いがかかるのを回避したいんじゃないかしら……水着を着てれば覗かれても被害甚大にはならない、提案した者は疑われない……そんなところじゃないかしらね」
「本当はどうするのがいいんだろぅ?」
「本当は裸で入るものよ。ナギリエッタもシャワー浴びる時、水着で浴びないでしょう?」
「うん、そうだね」
 ところによって物知らずなナギリエッタと、意外に雑学豊かなエリスの二人だと、そんなすれ違いも起こるようだった。
 二人のやりとりは、脱衣所と湯船の間のことだった。
 ナギリエッタは一度着た水着を脱ぎに脱衣所に戻り、大きいタオルを身体に巻いて戻ってくる。
 既にエリスは白濁した湯に浸かっていて、どうしようかな、とナギリエッタは思ったが……
 ひょこひょこと備え付けのサンダルをつっかけて、ナギリエッタは柵のところまで行ってみた。
 両脇はレンガの壁で、割合に高い樹が壁を隠すように植えられている。樹に登れば覗けるけれど、それだと女湯からも丸見えになる。木の柵はレンガの壁よりもやや低く、繁みが自然に配置され、蔦が絡まっている。一応背の高い男でも背伸びしても覗けない高さはあるが、その気になれば乗り越えることはできそうだった。そして木の柵なので、どうしても隙間はある。
「この辺が怪しぃ……」
「ナギリエッタ、何してるの?」
「覗けそうなところをチェックだょ〜」
「裸でそんなところにいたら寒いわよ、こっちにいらっしゃいな」
 うん、と言いながらナギリエッタがまだ柵を気にしていると、エリスは惜しげもなく裸身を晒して湯に立って、湯船を突っ切ってナギリエッタの後ろまで来る。
「……覗き魔がいたら、丸見えよ」
 エリスはナギリエッタの背後から胴に手を回して、強制的に回れ右をさせる。
「覗きたいと思ってたって、こんなところから外を見てる子がいたら、逃げていくわ」
 そのまま湯船まで運んで、ナギリエッタを湯船に入れようとするが……
「ま、待って! エリス!」
「……何?」
「入る前に、準備体操しなきゃだょ!」
 まだ少し間違っているナギリエッタだった。

 さて、話題の人エグザスの悩みは多かった。
 周囲が予測もできる程度に、本人も予測している。エグザスの能力はこういう場所では疑われやすい能力なのだ。
 温泉は好きだが、ここで一人でいるのは容易に疑いを呼ぶようなもの。だがそれは身上のしっかりした……可能ならば異性と常に一緒にいることで、解決ができるだろうと思われた。
 当然その相手に選ぶべきは、決まっている。覗き魔事件も殺人事件も解決したわけではなく……フランの安全を確保するために護衛するにも、一緒にいるのが良かった。
 ただ、問題は。フランと常に一緒にいるというのは、言葉にするよりも実践がはるかに困難であるというところだろうか。いや、困難なことは一つだけではある。フランがそれを是とするかどうかだけだ。護衛云々は、フランと自分の観光などの楽しみの邪魔になるので、口にはしないとして。誤解を受けないための証人に……というのも、言い難いような気がした。ならば、ただ普通に、深刻な理由はなく、ずっと一緒にいたいと告げるしかない。それを、フランが是とするか否か――
 この問題を最後まで突き詰めて行ったとき、やはりエグザスには問題があったが……そのことにエグザスが気付いていたかどうかはわからない。そして最大の問題は、温泉旅行に来て「ずっと一緒にいたい」ということの意味をエグザスはわかっていなかったのかもしれないということだった。
「……私は、構いませんわ」
 フランの答えまで、少し間があった。だが、二コリと微笑んでそう答えた。
「そうですか……それでは、まずはよろしければ、ご一緒に観光でも」
「はい」
 そして、エグザスとフランは出かけていった。肩に乗っていたイルズマリがなにやら微妙な顔をしていたらしいという証言があったが、実際のところは定かではなかった。

●覗き事件と殺人事件
 まず最初に必要なことは、情報収集だった。
 カマー教授から聞いた概要だけでは、足りないものが多すぎる。それはこの事件に興味を持った者たちの共通の認識として、間違いのないところだった。
 優真はサウルがこの町にいることを知っていたので、連理とシャルティールを伴って、まずそちらを訪ねた。
「やあ、いらっしゃい。みんなで来たんだって?」
 サウルはやや町の中心から外れた貸し別荘にいて、冬のバカンスを堪能しているらしい。従者がいるのは予測できていたが、別荘には他にも人がいるようだった。
 具体的に何を聞くということもなかったので、挨拶のあと、世間話のように事件の話を聞いてみた。
「ああ、あれね」
 今日は客人である優真にお茶を出しながら、さらりと答える。
「早く解決するといいね。こんなことになっちゃって、色々と大変だ」
「詳しいお話をご存知ですか?」
「あんまり詳しい話をすると怒られそうだけどね」
「無理にとは……」
 優真が恐縮しながらも、できるところまでと続きを促す。
 シャルティールと連理は相変わらず、あまり機嫌は良くないようで黙ってお茶を飲んでいる。ただ優真とサウルの話の邪魔は、今はしないと思っているようだった。
「覗きはね、前からあったみたいだね。実は犯人は一人じゃないのかもね」
「えっ。じゃあ、亡くなった人だけじゃなかったんですか?」
「共犯だったのか、やっぱり単独犯だったのか……本当のところは、まだはっきりしてないけど」
 ともあれ、覗きをしていたのは殺された青年以外にもいるとサウルは言う。殺されなければ、証言を聞けるはずだったとも。
 そこで町ぐるみであったという疑いがかかっているという話を、優真は思い出した。たった一人、普通の青年を、町ぐるみで庇ったりするだろうか? 庇ったと思われるには、相応の理由があったのではないか。
「まだ安全ではない……んですか?」
「いや、今、帝都から捜査官が来てるっていうのに、覗きをする奴はいないよ。捕まえてくださいって言うようなものだ。犯人とされそうだった者が殺されてしまったんだから、生贄として法廷に突き出されかねないだろう?」
 事態を丸く収めるためには、目に見える犯人が必要なのだろう。それは、殺された青年であるはずだった。覗きとそれに伴う犯罪については今もそうなのかもしれないが、殺されてしまったことを放置するわけにもいかないので、殺人事件を追う形で今も捜査員は残っているのだろう。
「どうして……容疑者の人は殺されてしまったのでしょう?」
「偶然だったのかもしれないね。揉み合ってるうちに足を滑らせてガツン、とかさ」
 サウルは死因を知って発言しているのだろうから、確かにそういう状況の死体だったのだろうと思われた。頭を打ったか、鈍器で殴られたか。
「偶然ですか……犯人は間違いないのですか?」
「だって真犯人がいて、それを庇ってとかなら、かえって逃げないんじゃないかなあ。思わず逃げちゃったってことは、あるかもしれないが。自分が犯人ではなくて誰も庇っているわけではないなら、出てきて、きちんと弁明するべきだね。誰か庇っているのなら、相応の行動を取るだろう」
 サウルの話は理には適っているが、その通りに行動できない者もいるだろうとは思われた。だが理に適わない行動をする者を理解することは、まともな考えの者には難しい。
 ならば、理に適う行動をする者として考えることが妥当なのだろう。
「僕は、最初には殺意はなかったような気がしているよ。逃げてるけど、遠くでもない。逆に開き直るか、遠方に逃げてれば、そのつもりで殺したのかなと思うところだけど」
 思わず殺して、思わず逃げてしまって、逃げ切れない場所に逃げ込んでしまったのではないか……そうサウルは思っているようだった。それが事実かどうかはわからないが。
「逃げ切れない場所なのですか?」
「何も用意なく、山を越えるのはちょっと無理かな。逃げているのはエリアの青年だしね」
「それなら、隠れていることも……」
「どこかの山小屋にいるんだろうね。というか、いたんだ。既にいくつか当たったが、隠れていた形跡があったよ。山小屋の常備食とか、そういうもので繋いでいるんだ。だが、限界がある。山小屋は山越えをするためのものじゃなくて、狩りのためのものだから」
 限界が来たとき、青年は選ばなくてはならないだろう。雪山で死を選ぶか、更なる逃亡を選ぶか。そして、逃げるためには準備がいる。誰かの協力がいる。
「……逃げると思っているんですか?」
「逃げてる青年の、人となりを聞く限りはね」
 だから『待ち』の体勢に入っている……と、そういうことのようだった。
「事件に興味があるのかい?」
 今更のように、サウルは聞いた。
「ええ……解決すれば良いと思うのですが」
「……早く捕まえてしまえば、彼は殺されずに済んだかもしれないな。そのほうが良かったのかもしれない。死ぬよりは、マシだったかなあ……いや、でも、死んだほうがマシだってこともあるかな……」
 苦笑いを浮かべ、独り言のように、サウルはそう言った。他にも何か知っているようだったけれど、それは優真には教えてはくれないようだった。
 そこで、居間の入口から声がかかった。
「閣下、アルメイスの学生で話を聞きたいという者が来ていますが」
 そこでやっと優真は、サウルの従者以外でこの別荘にいる者が、この事件の捜査員なのだと気付いた。
「任せるよ。僕は休暇中だからね」
 サウルはお茶を飲みながら、そう答えた。

 アベルは捜査員のところを訪ねに行くのに、優真にやや遅れた。それは居場所を聞くのに、やや時間がかかったからだ。
 捜査員は町民には煙たがられているようだった。災禍を運んできた者と見られている節があった。アベルはその仲間として見られて、やや邪険にされたようだ。そして別荘の借主で捜査員に詰め所を貸している、帝都から来て長逗留している若い貴族の青年と捜査員の関係は、町民たちにあまりよく理解されていなかったようである。それが、若干のタイムラグを産んだようだ。
 しかし、この場合時間の差は大したものではなかっただろう。
「……協力はありがたくお受けしよう。だが、本職ではない貴殿がこちらの活動の妨げになるようならば、その時点でお引取り願うことになるが、よろしいか」
 捜査官は一人ではなく、その一応は責任者らしい者もそんなに経験を積んだと思われる年齢には見えなかった。それでももちろん、アベルよりははるかに年上であるが。そしてアベルがちらつかせた身分も、捜査官を越えたものではなかったようだ。ないよりはあったほうがいい、くらいだったろうか。向こうとしては、現地の手足が増えた程度であるようだった。
 さて、それから聞き出した話のいくらかは優真と重複していた。アベルが聞いた話のほうが素っ気無く、事務的だったが。
「覗き事件……いや、我々が逮捕に来たのは婦女暴行事件の犯人だ。覗き事件は、それに付随するに過ぎない。覗き事件そのものは長期にわたり、複数犯であったと思われるが、その捜査は現地巡察の手に委ねることになっている」
 帝都の捜査官が嘴を突っ込むには、この事件は管轄違いが甚だしいらしい。それでも訴えた者が帝都で訴えたので、仕方なくそれにまつわるものだけ逮捕して連れていくことで、現地の捜査官と話がついた矢先の殺人事件だったようだ。
 捜査官の暗の主張としては、管轄違いを丸く納めるのに散々苦労した後なので、そこは引っかき回すなと言いたいようだった。覗き事件の概要が詳しく知りたいのなら現地の巡察詰所に行けと、そう冷たく言い放つ。だが、そちらに行っても暖かい対応が待っているとはアベルにも思えなかった。
「殺害方法は鈍器での頭部殴打か、岩石への頭部殴打のいずれかだ。現場は共同温泉の男湯だった」
 その頃ちょうど風呂に入っているカルロとジークは知らないわけだが、まさに二人のいた場所が『現場』であったようだ。だが殺人事件時に当事者の二人は風呂に入っていたわけではなく、人のいなくなる時間を見計らって密会していたらしい。何故そんな場所を選んだのかと言えば、二人とも勤め先が町営施設であったからだ。町営施設は町民の勤め先としては最も優良な場所の一つである。
「被害者であり容疑者であった男は、町の名士の家の生まれだ。現在行方不明である殺人の容疑者は町長の縁者だ。身分的には、この町の中ではと限るが、二人ともそれなりだった。だが素行が良かったかというと、二人ともややそうではない面もあったようだ。そして二人は、幼馴染みの友人だった」
 本来、二人はごく親しい友人であったと言えるようだった。幼馴染みで、権力者に近く、あまり素行の良くない二人。それだけで二人で何か悪さをしていたことを連想させる。そしてこのあたりがおそらく、町ぐるみで隠蔽していたと疑われた原因なのだろう。
「……だが、二人とももういい歳で、最近は落ち着いていた……ということだ」
 付け足すように、捜査官は言った。

 アベルが別荘の外に出ると、優真たちが待っていた。
「どうだったのでしょう?」
 宿に戻る足で、二人で聞いた話を交換する。
「覗きはつまり、二人で行っていたと見るべきか。少なくとも、捜査官はそう見做しているな」
「でも、捕まえるつもりだったのは、一人……だったんですね」
 犯罪の内容が内容だけにやや気まずげに優真が言う。覗きは二人。だが、捕まるはずだった者は見る以上の罪を犯した一人。
「二人ともが覗き犯であったとするならば……」
 アベルは顔を顰めた。
「関係者の口は固そうだ」

 それから優真たちは逃亡犯の関係者である町長と、そして妹のところへ向かった。アベルは殺された男の恋人のところへ。
「再調査? 何を今更……!」
 だが恋人の態度は剣呑なものだった。性犯罪者の容疑をかけているのは外から来た捜査官で、やっぱり他所者のアベルはその仲間と見られたようだった。
「元々濡れ衣なのよ! そりゃ……昔は、覗きしてたのかもしれないわ。でも、もうずっとしてなかったはずよ! 約束したんだものっ」
 もうしないと恋人に誓って更生したというわけだ。誓いを破っていないと信じて、彼女は攻撃的であるのだ。誓いを破っていたかもしれないという疑いが、なお攻撃的にさせるのかもしれない。
「覗きをしていたとしたら、ラルフのほうよ」
 ラルフというのは逃げている容疑者だ。
「ルイスは無実よ」
 ルイスが殺された恋人の名。
 こういう主張ならば、関係は険悪にもなるだろう。それ以上、話になるとは思えなかった。

「お話しすることはありません……」
 ラルフの妹は陰気にそう言った。過去に覗きをしていたことも肩身を狭くさせているだろうが、人殺しで逃亡犯の兄を持って楽な生活ができているとは思えなかった。町長の縁者であることが、かろうじてこの町にこの家族を留め、そしてなお肩身を狭くしているのだろう。
「兄が来たら、通報します。それで良いでしょう……」
 やはり優真も、それ以上話をすることはできなかった。
 少なくとも、今、このときに彼女に嘘はないだろう。おそらく彼女は、強く兄を恨んでいるだろうと思われた。それだけの目に、既に遭っているのかもしれなかった。
 少し沈んだ気分で優真は町長の元を訪ねた。
「……あなたがたに、事件を調べて欲しいというわけじゃないんですよ」
 町長は優真の訪問を邪険にはしなかったが、明らかに迷惑そうだった。
 望んだのは、賑やかしだ。それは最初から伝えられていた。殺人現場ゆえに人が遠ざかり、遠ざかっていると他の客も何故遠ざかっているかを知りたがる。その悪い循環を破りたいためだ。
「犯人はじき捕まるでしょう。協力は惜しみません。ご心配にはおよびませんよ」
 やはりここでも、実りある話は得られなかった。
 ……後に振り返ってみれば当然のことながら、それは、彼らも真実から遠いところにいたからだった。

 集められる情報は、集めた。
 後は、当事者の話が聞けるかどうかだけが鍵だと思われていた。
 そしてそれは連理とカルロの仕事であった。

●温泉宿の夜
「あ、入りました!」
 きゃっとフランが歓声をあげる。
 もう冬の日は暮れかけていた。やはりレヴァンティアースの冬の宿命的に、昼は短い。エグザスはフランを連れて町を歩き、いくつかの店を見て回り、最後に露店の並ぶ通りに来た。そこで輪投げのゲームをフランがしたがったので、そのゲームに一回付き合って。
 フランは的に入れられなかったが、エグザスはいくつか入れることができた。賞品に小さな人形を受け取って……当然自分で持っていても仕方がないので、フランに渡す。
「ありがとうございます」
「いいえ、大したものではありませんし」
 そこで、暮れなずむ空を眺め。
「もう、戻りましょうか……日が暮れる」
「はい」
 二人は宿に戻る帰路についた。夜の訪れは早く、宿に着く前に夜闇の帳は降りてきそうだった。

「まだお店開いてるといいけど……遅くなってごめんなさい」
「いいんだ、仕事の邪魔はしないさ」
 カレンが解放されるのを待って、ジークはカレンと二人で宿を出た。もう暗くなるのはわかっていたので、二人とも手に宿で借りたランプを持っている。田舎町の黄昏時に暖かな光が揺れて、それだけでも美しい光景だった。
「あら」
 道の向こうから、人影が現れて二人は足を止めた。暗さに足元を不安にしながら、フランとエグザスが歩いてくる。
「今、帰りか?」
「ああ。そちらはこれからか」
 そんな会話を交わして、すれ違う。
「……ちょっと待って、これ一つ持って行くといいわ。後、宿までもう少しだけど」
 いったんすれ違った後、ふと気付いたようにカレンは戻るとエグザスの手にランプを一つ押し付けた。それから明かりを頼りにジークの隣による。
「ありがとう……助かる」
 二組はそれぞれ明かり一つを頼りに、夜の濃くなる中を歩いていく。
「ああ……まだ少し、開いてるな」
 閉まった店もあるようだったが、明かりを灯して幻想的な佇まいを醸している店もあった。貴族相手の商売をしているような高値そうな店もあれば、ちゃちな玩具のようなものを扱う店もあった。
「綺麗ね」
 店の佇まいを眺めるだけでも、十分カレンは楽しそうだった。カレンは宝飾店でのアルバイトが長いので審美眼はしっかりしているし、綺麗なものや可愛いものが好きだ。ただ眺めるのが好きなだけで、そのために散財することはないが。カレンは綺麗なものを見るのが好きであるのと同じくらい、貯蓄も好き……という、堅実な経済観念の持ち主である。……多分、心配性であるのと同じく、主を反面教師にした結果なのだろう。
「何か買ってやろうか」
「……いいの?」
「ああ、何がいい? お揃いで、何か買おう」
「お揃い……」
 軒先にランプを吊るした店に二人で入って、中を見回す。食器類を扱う店だったようで、やや土産物という雰囲気ではなかったが、カレンの好きそうな綺麗な内装だった。
「これなんかどうかな」
 そう言って、ジークはカップを手に取った。
「……うん」
 取っ手に薄く銀細工を貼り付けたような綺麗なカップを二つ買って、二人はその店を出た。
 もう外は真っ暗だったが、露店の通りは割と遅くまで開いているらしいと聞いていたので、そこに向かう予定だった。宿に戻ったら暇な者でも集めて遊ぼうかと話しながら、夜の中へ消えていった。

「いい湯じゃのう」
「まったくじゃな」
 年寄り臭い台詞を吐いているのはラザルスとサワノバだ。夕刻になって帰ってきて、風呂に浸かって飲み食いしている。場所は男湯だった。
「しかし、結構人がおらんのう」
「時間がずれておるにしても……ちょいと少ないかの」
 さて、女性は女湯として……とそうでない者はどうしたかとやや思う。
 そのとき、女湯からはまた嬌声が聞こえてきた。

「体洗うなら、ボク、洗ってあげるょ! エリス」
「……じゃ、お願いしようかしら」
「ゎあ、すごいね、エリスー」
「そう? ……大したことないわよ」

「……なにかこう、すごいことになっておるような気がするのぅ」
「……温泉では、よくあることかもしれんの」
 音声だけというのは、かえって刺激的なこともある。こんな位置関係では、覗きも出そうだと二人が思っている頃。
 混浴は、(一部の者にとって)もっとスゴイことになっていたらしい。

 エグザスはどうしてこんなことになったんだろうと考えていた。
 どこかに間違いがあったような気がする。だが、どこだかはわからなかった。
 ここは混浴露天風呂。隣にはなぜかフランがいる。
 頭の後ろあたりにイルズマリもいるけれど、それは瑣末なことだった。
「浸かってるだけですと、溺れなくていいですね」
 エグザスの提案した通り、水着は着ているのだが。そしてこの状況に疑問を抱いているのはエグザスだけのようだ。イルズマリは不本意ではあっても、疑問ではないらしいので。
 フランに至っては、まったく疑問なく納得しているようだった。なにしろ、「一緒の入るなら混浴じゃないといけませんね」と言ったのはフランであるので。
 こうなった原因について見えないクエスチョンマークをエグザスはしきりに頭の上に飛ばしていたが、賢い者ならわかると思うが、これはもちろんエグザスが原因である。フランは求められたことをほぼ正しく理解して、最大限の善意と好意で応じているだけだ。
 そしてそれがエグザスにとって試練であることは、残念ながらフランには正しく理解されていなかった。
 なのでエグザスにとって最大の試練は、このときではなかった。この更に後に、訪れることになっていたのである。

 早々外は真っ暗であるが、昼が短いせいでのことだ。食事時には、ジークとカレンも帰ってきた。
 この旅行は招待で、食事も宿代も学生たちは払っていない。教授がいくばくか礼金を払っている可能性はあったが、カマー教授をよく知る者ほど、そんなことはないだろうと思っていた。
 無料ご招待の割にはいい食事が出て、おなかも満足した後、ジークがロビーの横にあった室内球技をやろうと誘った。この時間にばたばたしている者はいなかったので、結構集まってきて、球技台を囲む。
「ルールは?」
 カルロが聞くと、備え付けの説明書を読んでいたサワノバが答えた。
「ノーブルクレイを台の上でやるような感じじゃな」
 ラケットもボールもコートも小さいが、ルールは大差ないような、ちょっと違うような、そんな感じだ。
「一回戦負けだったからなあ……」
「わしもじゃな……」
 ラザルスも考え込んでいる。
「遊びだから、そんなに悩むなよ」
 誘ってきたのが昨年のノーブルクレイの球技大会での優勝者だというところも、やや気に入らないという感じだろうか。だがジークは笑って、野暮な真似はしないさと言う。しかし、ではやろうか、という話になったところで。
「ただやるんじゃつまらないから、最下位の者は一位の者の言うことを何か一つ聞くっていうのはどうだ?」
 そうジークが提案してきたので、えーっという軽い不満の声と、冷やかしの声が上がる。
「ジーク、それはかなり直球にやらしくはないかのぅ?」
 にやにやと連理がからかう。
「なんだ、それは」
「ジーク、その気になったら一位になれるじゃろ」
 ちょっと長めの沈黙の後、ぼそっと答える。
「…………カレンが最下位になるはずがないから、俺には意味がないさ」
「そういや、そうじゃな」
 と、そんなやりとりがあって、卓上ノーブルクレイは始まった。
 途中経過をすっ飛ばして、結果だけ発表すると。
 一位、エグザス。
 最下位、フラン。
 別の意味で、お約束通りの結果となっていた。
「わざと負けただろう!」
 小さな声でエグザスは、当然最後に競り合ったジークとカレンを非難したが……
「いや、言いだしっぺが勝つのはどうかと思って……」
「ジークがそう言うから……」
 二人が加減したら、元々実力伯仲のエグザスが勝つに決まっているのだ。
「私なら大丈夫ですから……どうぞ、なんなりと」
 そして最下位のフランがエグザスにそう言う様子を、周り中が暖かく見守っていた……多分。

 エグザスにとっては、これは苦難の旅だったらしい。いや、嬉しさ半分、厳しさ半分か。
 さて、最大の試練は、この後だった。
「どうしましょう? 私がエグザスさんのお部屋に行きますか? それともエグザスさんが私の部屋にいらっしゃいますか?」
 これはおかしいと、さすがに急激に冷静になって、どういう意味かをエグザスは問い返した。
「え、だって、証人が必要なんですよね? 大丈夫です、私、ずっと一緒にいて、エグザスさんがちゃんとした方だと申し上げます。だから、イルも、仕方ないって……エグザスさん? エグザスさん?」
 自分の選択が多分間違っていたのだと、エグザスはやっとここで気がついた。
 いや、間違ってはいないのかもしれないが。
 さてこの旅が終わるまでに、何がどうなっているかはエグザスの忍耐力だけが知っている……ということとなるようだった。

 混浴にしろ何にしろ、すっかり認めてしまえば困ることもないのかもしれない。認められぬ事情もあるので、そこはそう簡単に行くとは限らないが。
 混浴に入るというところにおいて、同じような状況であった二人もいる。こちらは片方の希望で人のいない時間、だいぶ遅い時間を選択していたが。
 ジークは脱衣所で服を脱いで、腰にタオル一枚を巻いた格好で湯に入ってカレンが来るのを待っていた。ほどなく、ひょいとカレンが女性の脱衣所から顔を覗かせる。他に誰もいないことを確認して、ようやく体全体を見せたが……
 やっぱり水着を着ていた。
 ジークはそれを責めるつもりはないが、原因がエグザスなのはもうわかっているので、ちょっと恨めしくは思う。せっかくの温泉だから一緒に入ろう、他の者に見られるのが嫌なら誰もいない時間にと、ようやくカレンを説得してここに来たのに、カレンが水着を着ていたときのジークの失望感は言いようもない。まあ、エグザスに言わせれば、逆の意味でお互い様というところなのだろうが。
「こっちだ。おいで」
 それでも気を取り直して、手を上げて手招きして場所を示すと、カレンは隣へ飛沫を上げずにすべりこんできた。
「……おまたせ」
 そして少し頬を赤らめて、湯に沈む。
「いや、そんなに待ってないよ」
「それならいいけど……」
 明かりは岩の上に置かれたランプ一つで、瞬く星明かりのほうが強いような、そんな夜だった。
「……星が綺麗だな」
「そうね……」
「今度はみんなでじゃなくて、カレンと二人で来たいな」
「…………」
 二人並んで湯に浸かって、星を眺めて。どちらも顔が赤いのは、のぼせているせいか。
 そして二人で本当にのぼせかけて、湯からあがる。
 そして屋内に設えられた洗い場に入ったところで。
「背中、流してやるよ」
 ジークはそう提案した。
「う、うん……」
 戸惑いがちながら、カレンはうなずく。多分、まだちゃんとその意味を理解はしていなかっただろう。一緒に風呂に入っているなら、それはある意味ごく普通の提案だ。しかし問題は、水着を着ていると背中は流せない、ということだった。
 なのでここで続く言葉は、「じゃあ、水着を脱いで」となる。
 そしてそこから先は……

●逃亡者の結末
 到着の翌日。逃亡者の行方を追うのに、カルロは遠隔視聴を用い、連理は予知を用いた。どこへ行くかを求め、今どこにいるかを求めて、捕まらぬはずもない。カルロは動けなくなってしまったが、ロザリアと共にこたつに残して、優真と連理とシャルティール、そしてアベルが現場である山小屋に向かった。
 逃亡者が更に逃げようとしたのは、あっさりシャルティールの呪縛で捕らえられたが、そのため話を聞くのは一日後になった。
 さて、逃亡者の青年ラルフは殺人は認めたが殺意は否定した。殺された青年ルイスがかけられていた容疑である覗きと暴行を、ラルフがしたのではないかとルイスに疑われ、揉みあっているうちに足を滑らせたのだという説明だった。ラルフの証言によれば、ルイスは無実を主張していた、ということらしい。
「もちろん、俺もやってない」
 ラルフ自身もまた、無実を主張した。殺人については事故で、覗きについてはどちらも無実を主張している、ということになる。
「……どういうこと?」
 温泉で硬直した体を癒しながら、カルロはアベルに訊ねた。
「わからんな。証言を信じるなら、覗きの犯人はいなかったことになってしまう」
 誰も覗いていない、誰も悪さをしていないのならば……

 女湯では、優真と連理がやはり湯船に浸かって話をしていた。
「誰かが嘘をついているのじゃ」
「そうですね……」
 だが誰が嘘をついているのか。
 それが死者であった場合には、死人に口なしでもはや証明することはできないだろう。嘘をついたのが生者であったならば、どこかで真実が明らかになるかもしれないが……にわか探偵たちは早々には答を見出すことはできず、そしてこの非日常から離れたなら事件からも遠ざからなくてはなかったので、それはずいぶんと後になるのだろうと思われた。
 多分、当面は死者が罪を被ることになるのだろう。

 学生探偵たちにはすっきりとはしない結末のままに、それ以外の者はほどよい休息に充足して、冬の短いバカンスは終わりを告げるようだった。

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