■番外5:ザウルスハンティング■

●夏への招待状
「君たち、避暑に行きませんか?」
 そう声をかけてきたのはマイヤだった。夏休みに、いくらかの学生を山間にある高原へ招待する話があるという。
 そこは小さな湖や泉、そして綺麗な白木の林が散在する土地。夏もあまり暑くはならないレヴァンティアースの中でも、とても涼しくて過ごしやすい土地だそうだ。
 アルメイスからもそう遠くはなく、帝都に向かう汽車に乗り、途中で降りる。ただ、そこから先に行くのはなかなか面倒ではあるようだった。食料などを運ぶために馬車が毎日走ってはいるようだったが、だいぶ時間がかかるらしい。
 そこまで聞くと、冬に行った湯治場を思い出す者がいた。
「ああ、冬に近くの湯治場に行ったらしいですね」
 冬に暖かい土地と夏に涼しい土地が同一であるわけではないようだったが、近隣ではあるようだった。避暑地は湯治場より高度が高い場所にあって、涼しいのかもしれない。
 避暑地は湯治場よりも少し帝都よりで、そして山の中に踏み込むらしい。駅のある街から麓の里までもだいぶ離れていて、歩いて半日弱。歩きで麓の里から高原の集落まで行こうとしたら、更に半日近くかかる。なので、普通は馬車で行く。
 馬車の通れる道は一本。すれ違うことはできないほどの幅で、人を乗せる乗合馬車は一日に一往復するだけという、温泉地より不便な場所のようだった。
「そんな場所ですが、湖と山に囲まれて美しい土地なので、貴族の別荘がたくさんあるのです。湖でボート遊びをしたり、乗馬をしたり、スポーツをしたり……夜はパーティーをしたり。夏のバカンスを楽しむ場所なのですね。そういう施設も公私で色々作られています。そして、レディフランにご協力をいただきまして、今回はエルメェス家の別荘をお借りすることができました」
 エルメェス家の別荘は、学生を十何人か泊めても大丈夫なくらい大きなもののようだ。
 さて、わざわざ別荘を借りて、何人もの学生を招くというのには当然理由がある。
「この高原に、ここ二ヶ月ほど妙な話があるのです」
 その妙な話とは……
「まずですね……湖や林に怪獣が出る、というのです」
 怪獣。奇怪な獣と書いて、怪獣。
「竜のようだったり、鳥のようだったり。複数の目撃証言を信じるならば、形は定まらないか複数いるようです」
 その土地は朝夕には深い霧が出て、靄に包まれる。町らしい町はない湖畔の夜は暗く、月明かりくらいしか頼るものはない。そんな中に、その巨大な影は現れるらしい。
「その怪獣による被害というのは、目撃談ほどたくさんあるわけではありません。また昼間目撃された例はなく、たまに夜の間に樹がなぎ倒されていたり、空き家だった別荘の一部が破壊されたりしたことがあるようです」
 今のところ人的被害は出たことがないらしい。
「怪獣とは言われていますが……現実にいるとしたならば、それははぐれリエラでしょう。はぐれリエラだとすると、複数というのは少し奇妙ですが……」
 本当に偶然が重なって、はぐれリエラが複数同じ場所に出現しているのだとしたら、またそれは大変なことだ。一体でも、狂って理性を失っている自存型リエラ――はぐれリエラを倒すのは大変なことである。
「とは言え、正体がはぐれリエラだと決まったわけではありませんし、複数いるとも決まってはいません。その真実の、調査をお願いしたいのです」
 まずは調査が主であると、マイヤは言った。それが帝都からアルメイスに回ってきた、依頼であるらしい。
 期間は試験休みから夏休みの間で任意。調査をしている間は、避暑を兼ねてエルメェス家の別荘に滞在して良いらしい。半分は、はぐれリエラだった場合の警備の意味合いもあるので、いざというとき以外は遊んでいても文句は言われないだろう。
「夏以外は、そこには集落に住むわずかな者たちと、別荘の管理人くらいしか人はいません。ですが、これから夏にかけては別荘で暮らす貴族もいます。こんな噂があるので、今年は例年より大分少ないようなのですが……それでもやはり少しは人も増えるので、第三段階の能力行使は基本的に許可できません。調査を主とし、戦闘を行う場合も第二段階までで、できるだけどうにかしてください。やむを得ず第三段階まで使用する場合には、可能な限り人的被害が出ないように配慮してください」
 もし貴族を巻き込んで死亡させてしまった場合には、過失であれ罪を問われ、そして将来は閉ざされるだろう。場所を考えずに第三段階の戦闘を行ったら、おそらくそれは高い確率で現実になるのである。
「それから…これはお願いとは、直接関係ありませんが。別荘荒らしが出るそうなのです」
 別荘荒らしというのは、平たく言えば空き巣である。人のいない別荘を狙って侵入し、中にある高価な調度品を盗んで売りさばくのだ。
「ここ数ヶ月、わかっているだけでいくつかの別荘が荒らされたようです。こんな事態なので、今年は人の来ない別荘が多いようですから、まだ続くかもしれません。一応、気をつけておいてくださいね」
 人が訪れないので荒らされても気がついてない別荘はまだあるのかもしれないとのことだったが、別荘荒らしの手口はごく平凡なもののようだ。これについては、別に捜査官が来るという話もあるようである。
「とりあえず、君なら怪獣が出ても大丈夫だろう」
「平気だろうが……どうせなら、もっと安全な場所で過ごせないのか?」
「僕は、他に仕事もあるんだよ」
 列車の中で、カードをしている男性が4人。
「なんだ、ついでなのか」
「どっちがついでなのかなあ……まあ、辺鄙なところだから、帝都にいるよりは安全だと思うよ。なにしろ人が少ないからね。涼しいし、夏が終わるまではゆっくりしててよ。帝都と違って、出歩いてもいいし。食事はちゃんと世話してくれる人が来るから」
 サウルはそう言って、カードを引いた。部下たちが順にカードを引く。
「出歩いても、何もないんだろう?」
「健康的な娯楽ならあるよ。釣りとかボート遊びとか」
「子ども向けの娯楽だな」
「会いたい人がいるなら、連れてきてあげるよ。そのくらいのサービスはするけど」
「会いたい人と言われてもな……」
 レアンはカードを引くと、「あがった」と言って役札を見せた。

●夏汽車
「マイヤ殿も避暑地に参られまするか」
 もう夏だと言うのに“深藍の冬凪”柊 細雪は、いつものように制服の上に羽織を着ている。心頭を滅却すれば火もまた涼しと真顔で言うわけだが、本当のところはどうなのか。いずれにせよ、見た目の上では暑そうな素振りは見せなかった。
 それは細雪から今書類を受け取ったマイヤも同様で、二人並んでいると季節感が狂うことこの上ない。
 繰り返すが、季節は夏である。平均すると一年を通して暑い時期はほんの二ヶ月に満たない帝国では、暑さに弱い者が多い。夏休みに入ると帰省する者もいるが、残った多くも夏にばてて動きたくなくなって、マイヤのところに持ってくる書類も細雪に託すような有様である。
「行くつもりではあるのですが」
 暑さで人の動きが鈍くなっているからか、仕事も滞りがちだ。行く予定ではあるが、遅れて行くことになるかもしれないとマイヤが答えると、細雪は多少なら他人に任せられるだろうと予定通りの進行を勧めた。
「行かれるのであれば、拙者もおそばに」
 そしてそれも当然のことであるようだった。

「エリス〜! この水着なんていいんじゃなぃ?」
 “ぐうたら”ナギリエッタはいつも眠そうな目をしているが、今日は珍しくそれを輝かせていた。 手にしているのは水着。自分の水着は片手にもう確保してあるので、今探しているのはエリスのものだ。
 自分のものとして選んだものは、白地に水玉模様の水着。上下にわかれた露出度の高い、色っぽい最新のデザインだ――胸があれば。ナギリエッタの場合は、可愛い水着……になるのかもしれない。
「私のは良いわよ……いつもので」
 エリスの言ういつもというのは、紺の地味なスクール水着である。でも帰ってきたらその足で海水浴の旅に出るのだし、せっかくのバカンスなら学校の売店で売ってるようなものではない水着がいいに決まっている。
「お金は大丈夫だょ。バイト代入ったから!」
 エリスに似合うのは可愛いものか、カッコイイものか、と考えてナギリエッタは色違いのお揃いの水着を手に取った。
「ほら、赤い水玉だょ! どうかなぁ?」
 エリスが着たなら、それは本来の色っぽいデザインになるような気がした。

 帝国で旅をすると言ったら、十中八九汽車に乗る。今回もだ。方面としては帝都に向かい、急行ではなく各駅停車の鈍行汽車で、途中の駅で降りて、そこから馬車に乗る。
 今回の避暑地に向かうメンバーは、アルメイスの中央駅で待ち合わせとなった。
「全員揃いましたか?」
 マイヤが予めに確認していた数と、駅に揃った顔ぶれを数える。そのマイヤの隣には、白いワンピースに麦藁帽子をかぶった如何にもお嬢様然とした女性が立っていて、人数の確認を手伝っていた。
「大丈夫なようです。それでは参りましょう、マイヤ様、皆様も」
 鈴を転がすような声で、女性は列車に乗るように促す。
「……ありゃ、誰だっけ」
 列車に乗り込みながら、あの女がどうしても誰だか思い出せないと首を傾げる“黒い学生”ガッツの後ろで“真白の闇姫”連理がボソッと呟く。
「アレは細雪じゃ」
 言われてなお、ガッツは一瞬誰だそりゃという顔をしていたが。
 ともあれ何事もなく汽車は走り出した。
 列車の中で一晩明かすこともないので、寝台車ではなく普通の座席だ。列車の中では、一両の四分の一くらいに固まっていた。
 もういつものようにと言ってもいいかもしれないが、フランと“紫紺の騎士”エグザスが隣り合わせに座っていて、その前には“銀の飛跡”シルフィスが座っている。最初は“陽気な隠者”ラザルスもいたが、ランカークに無理矢理押しのけられて、今は背中合わせの後ろの席に座っていた。カレンと“闇の輝星”ジークが苦笑いして、その前にいる。
 ガッツはその4人と通路を挟んで反対側にいた。隣には連理、前には“蒼空の黔鎧”ソウマ、その隣には“暇人”カルロがいる。この四人はある意味寄せ集めの相席で、エリスとナギリエッタのようなずっと一緒にいても話の尽きない者たちとは違って、さすがに半日延々と話し続けるネタはない。
 ソウマは早々に本を開いていたので、ガッツも暇つぶしのカードを出した。隣の連理は前に座ったカルロと話をしている。
 だが、めくったカードに眉をひそめる。
「またおまえか!」
 その吊るされた男は、前に見たことがあるカードだった。うん、ガッツが一度死に掛かった時、それを事前に教えてくれたありがたーいカードである。
 ありがたすぎて、迷わずビリビリに破いて捨てた。
 気を取り直して、もう一枚。
「…………」
 明るく崖に向かって歩く男。『愚者』と書かれている。
 そのまま黙って、ガッツはそのカードを窓際に備え付けられていたゴミ箱につっこんだ。
 ろくなカードがでやしねえ、と口の中で呟いて、ふと前の席のソウマを見る。その手にある本が気になったので覗いてみた。見た感じ、何度も繰り返し読んでいるのは疑いないようだ。それほど熱心に読むのは、さぞ面白いのかと思い。
「何の本だ? それ」
 そう訊ねてみた。それで、きっぱりと返ってきたのは。
「『人気者の秘訣』だ!」
「…………」
「どうした!」
「……おまえも苦労してんだな」

 そんな半日が過ぎて、列車は避暑地最寄の駅に着いた。

●避暑地の夕刻
「優真!」
「連理さん」
 一行が乗り合い馬車から降りると、“春の魔女”織原優真がいた。もちろん、横にはリエラのシャルティールもいる。
「そろそろいらっしゃるかと思って、待ってたんです」
 優真はサウルの仕事について、数日前にこの高原に入っていたのだ。連理とは連絡を取っていて、なのでアルメイスから一行が来る日も知っていた。それで出迎えに来ていたとニコニコと言う。
「怪獣の調査にいらしたんですよね……皆さん、お疲れ様です」
 優真はここで何をしているかといえば、帝都から来ている別荘荒らしの調査員の借りている別荘で、食事の世話などをしていると言った。
「連理さん、私も少し聞いてみたんですけど」
「なんじゃ、調べておいてくれたのかの?」
「少しです、大したことじゃないのですけど。怪獣が出るというのがここ二ヶ月ほどのお話で……別荘荒らしは、そのほんの少し前から出るようになったようですね」
「ほんの少し前……ほぼ同時期ってことじゃな」
「そう言っても良いんじゃないでしょうか」
 ふむ、と連理はうなずいた。
「怪獣は見たのかな」
 エグザスが、聞き込みの手始めにこの場所の先輩である優真に訊ねる。
「いいえ、夜はあまり外は出歩かないので……今のところ、私は見ていませんね。朝夕は本当に靄がすごいんですよ、ここ」
 だから用事がなければ出歩かない、と言う。
 しかしこの別荘地に来る貴族たちには夜も出歩く理由があって、そのため怪獣目撃談が絶えないようだった。
「夜出歩く理由って、何?」
 カルロが首をひねる。
「パーティーですね。例年よりは少ないようですが、それでも大小様々、毎晩のように」
 数日ではあっても、この避暑地では先輩である優真が答える。
「パーティーかあ。そういえば、会長もそんなこと言ってたね」
 それにしても、とカルロは深呼吸した。
「涼しいね、本当に」
「ええ、明け方は寒いくらいです」
 昼間も夜も涼しくて、一番冷え込むのは朝方のようだ。
「暑くないってだけで、最高だよ」
 暑いのは大キライだと、カルロは幸せそうだ。
「行きますよ」
 そこで、マイヤが優真と話していた者たちを呼んだ。ここからフランの案内でエルメェス家の別荘へ移動するのだ。
「じゃあ、また後で……会えたらね」
 それでカルロは優真に手を振ったが、連理は動かなかった。
「妾は優真のところに行くので、ここで別れるとするのじゃ」
「あれ、そっちに行くんだ?」
「うむ。ここまで来て、調査をすれば、どこにおってもよかろう? 情報が掴めれば、伝えに行くのじゃ」
「あー、まー、そうだね。じゃあ、また後で。僕は多分、ずっと別荘にいるから」
「そうなのかの? まあ良いわ。また後でじゃな」
 そこで連理だけ別れて、連理は優真と共に捜査官の宿に向かった。
 他は全員、フランの案内で馬止めの駅から少し歩いた所に建つ大きな屋敷に向かう。
「こちらですか」
 図書館のように大きな屋敷を見上げ、エグザスはフランに話しかけた。
「はい。通年管理人のご夫妻が住んでいますので、ちゃんと管理されていると思います。ここ数年は、こんなにお客様をお迎えしたことはないんですけど……」
 そう答えながら、フランは門の中へ声をかけた。
「ガルバスさん、フランです」
「お嬢様、ようこそいらっしゃいました」
 管理人の初老の男性は、もう人のざわめきから客の訪れに気がついていたのか、呼びかけるとすぐ現れてにこやかに門を開けた。
「こんなにお客様をお迎えするのは久しぶりですね」
 管理人のガルバスが中に案内して、それぞれを支度の済んだ客室に案内する。全員が別々だったが、それでも部屋は足りなくならないほどあるようだった。
 カルロもロザリアと共に、一室に案内される。
「お食事はダイニングです。お時間になりましたら、降りてきてくださいね」
「あー……僕、動けないかもしれないんだけど、簡単なのでいいから持ってきてもらえないかな?」
 だが、カルロはぽりぽりと頭を掻いて、そう言った。
「おや、そうですか……じゃあ、お部屋にお持ちしましょう。消化の良いものがよろしいですか?」
「体は動かないけど、口は動くから……あんまり硬いものでなければ平気かな」
「では普通のお食事で?」
「ごめん、サンドイッチみたいなのがいいな」
 そして、豪華な部屋にロザリアと二人残る。ロザリアはひょいと軽やかに布張りの椅子に飛び乗って、早々にごろんと横になっていた。
「もう始めるの?」
「うん、範囲も広いし、とっとと済ませよう」
「せっかちね。……まあいいわ」
 ロザリアはよいしょと身を起こして。
「さて、見つかるかなあ」
 レヴァンティアースの夏の昼は長い。まだ空は青かったが、時刻の上ではもう夕刻に向かうはずだった。爽やかな高原の風の駆け抜ける窓の外を眺めながら、カルロは呟いた。

 食事の時間までの間に外に出たのはガッツとソウマだった。
 ガッツはぶらぶらと集落のほうまで歩いてゆき。この近くには何件かしかない民家の近くまで来てから、ふと思い立って方向を変えた。
 行き先を具体的に把握していたわけではなかったが、方向は合っているはずだった。目的地は優真と連理のいるところだ。目的そのものは女の子二人ではなかったが。
「なんじゃ、おぬしも来たのかの」
 別荘の前で水撒きをしていた二人のほうが、先にガッツを発見した。
「別におまえに会いにきたんじゃねえ……と、俺『も』?」
「ソウマさんがさっき来られて、今、中に」
 にこやかに優真が補足する。
「先越されたか……」
 ちっと舌打ちしつつ、歩いて見てきた中では中位のその別荘にガッツも上がりこんだ。
 玄関を入ってすぐのリビングで、ソウマが若い捜査官一人とサウルを捕まえて、被害にあった別荘を聞き出していた。そこにガッツも横から首を突っ込んで、話を聞く。
「じゃあ、普段は管理人が住んでいないんだな!」
「基本的に管理人が常駐しているようなところは狙われてないな」
 どこの別荘が被害にあって、どこに行けば被害の内容を聞けるのかはガッツも知りたかったところだ。
「この辺に、貴族や貴族じゃないけど金持ちの別荘は、全部で五十邸ほどもあるんだ」
 若い捜査官はうんざりした顔で説明をしていた。ガッツが来るまでのわずかの間に捜査上の秘密だから教えられないと、さんざソウマとやりあった挙句にソウマの勢いに押し負けたのである。上司の苦笑と共に許可をもらって……ガッツが入ってきたときに、説明を始めたところだったようだ。
「五十もあんのか」
 横合いから首を突っ込んだガッツを、若い捜査官は胡散臭そうに見やりながらも話を続けた。
「その中で既に被害に遭ったと判明しているのは八邸だ。もうじき二割に届くから、大した数だな。まだ判明していないところがあるかもしれないから、実際はもっと被害数は多いかもしれない」
 物好きな者は白樹の林の奥にも別荘を建てたりしているので、別荘自体の分布は広くて、便利だったり景色の良いところばかりに建っているわけではないようだ。
 湖畔や馬車駅の近くは一等地で、エルメェス家の別荘もそうだが、比較的大きな邸宅が多い。そして、そんな一等地に立つ大きな別荘の七割は管理人が常駐しているので、そういうところは被害に遭っていないようだった。
 被害に遭っている多くは、やや湖畔から離れた場所にある、中規模の別荘だ。ちなみに捜査官たちが借り上げたくらいの立地で、そのくらいの規模の別荘が最も狙われやすいということだった。
「この辺なのか!」
 と、ソウマが別荘の中を見回す。
「ここは被害には遭ってないが。ちょうどこのくらいが一番多い」
 だから、防犯の意味で貸してくれたのだと言う。
「捜査官が住んでいれば、そりゃあ空き巣はこねえな」
 ちなみにこの捜査官は報告に戻ってきたところを捕まったわけだが、他の捜査官は被害に遭った別荘の調査と、まだ被害に遭っていない別荘の見回りに行っているらしい。全部調査が終わったら、被害に遭った別荘の数は増えるのかもしれなかった。
 さて、説明が終わったので解放されるだろうか……と、捜査官が少しほっと息を吐きかけたところで。
「この近くで被害に遭った別荘はどこだ!」
「何が盗まれたのかわかってんなら教えてくれよ」
 ソウマが被害に遭った別荘の場所を聞き。
 ガッツが盗まれたものの詳細を聞いた。
 捜査官はいや〜な顔をしながら、まだ解放されないことについて、改めて息を吐いた。
「熱心だな……相変わらず」
 リビングの隅には、銀髪の男が茶を飲んでいた。ほんの少し昔を知る者には意外なほど物静かに、背景に溶け込んでいる。
「ソウマ君は相変わらずだね」
 若い捜査官にすべての貧乏くじを引かせて、レアンの前に退避してきたサウルが答える。
 そこへ優真と連理が外から戻ってきた。
「お夕食どうしますか? ソウマさんとガッツさんも食べて行きます?」
 そう言われて、二人はエルメェス家の別荘で言われた夕食の時間を思い出した。
「いや! 夕食は別荘の親爺さんが用意してるはずだから帰るぜ! 約束は守るのが正義だ! もう時間だ!」
 そして、ソウマはガッツの首根っこを引っ掴んだ。
「帰るぜ!」
 そのまま、ソウマは走り出す。
「なっ、何しやが……」
 るーーーーはエコーしながら、二人はものすごい勢いでフェイドアウトしていった。
 それを、残された五人は見送って。
「……相変わらずだな」
 その感想は、初対面の捜査官以外にとっては共通の想いだったようだ。

●避暑地の夜
 夕食の席にカルロはいなかった。代わりにロザリアだけが出てきて、カルロの座るべき椅子の上で寝そべっていた。そうしているところを見ると、ただの猫だ。
「カルロはどうしたんだ?」
 だが、普通の猫は喋らない。ロザリアは自存型リエラなので喋るのだが。
「部屋で動けなくなってるわ」
 エグザスの問いに、ロザリアは端的に答えた。カルロの能力のデメリットを把握している者は、この時点で何をしたのかわかっただろう。
「食事は大丈夫なの?」
「サンドイッチもらって、もぐもぐ食べてたわ。上手く手が使えなくても器用に食べるのよ……あ、そうそう」
 伝言よ、とロザリアは起き上がった。
「ついでだから、何か『探し物』があったら請け負うって言ってたわ」
 遠隔視聴で周辺すべてを見て探そうという試みなのだろう。そのついでということだ。
「ふうん、じゃあ、俺が頼むかな」
 ガッツが探し物があると言う。
「何を探すの?」
「まだちゃんと全部は聞いてねえから、また明日だな」
 そうして、貴族の別荘らしい豪勢な夕食は多少マナーが無視された程度で何事もなく過ぎ。
 
 夜。
「出かけるのか?」
「散策じゃよ。気をつけるので心配は無用じゃな」
 夕刻以降は別荘に残って警護をしようと考えていたエグザスは、玄関の前でラザルスを呼び止めた。
 ラザルスは調査のために、日に一度は散策に出るつもりだった。朝か夕刻か、夜か。一日目の到着は午後も遅くなってからだったので、行くならば夜しかない。明日からでも良いかとも思ったが、せっかくなので行くことにしたと言った。
「お疲れ様ね」
 そこで玄関を開け、シルフィスが中に入ってくる。エグザスはいつの間に出て行ったのかという顔で、妹を見た。
「外に出ていたのか?」
「テラスから出て、庭を見てきたのよ。さすがねー、庭にクレイコートがあったわ。一面だけど」
 シルフィスは調査にはあまり興味はないようだった。ここへ来たのも自分の修練が主な目的で、後は警護に協力しようというあたりのようだ。今回はシルフィスのように、自分の目的で参加した者も多いようだった。
「ラジェッタちゃんでも誘ってしようかな。後はフランとか……」
 そう言って、ちらりとエグザスを見る。
「そうじゃ、ラジェッタちゃんと言えばじゃな。明日は茶を持ってサウルのところにでも行こうかと思うんじゃが、一緒にどうじゃ? 確か、向こうにはレアンも来ているのじゃろ」
「あら、いいわね。ラジェッタちゃんも誘って、お茶会ね……お菓子でも、今夜のうちに焼いておこうかしら」
「明日の朝食ででも、皆も誘ってみようかの。それじゃあ、遅くなるしの……わしはちょっと行ってくるとしようかの」
「外、すごいわよ。カレンとジークも庭のほうから出て行ったけど」
「すごい?」
 シルフィスの言葉に首を傾げながら、ラザルスは玄関の扉を開けて外に顔を出した。
「おお! これは確かにすごいのう」
 扉を開けておくと、家の中まで霧が流れ込んでくる。
「白い闇じゃな……」
「これでは本当に見えないな」
 エグザスも改めて覗いて、霧の深さに驚きを隠せなかった。
「さっきはもう少し見えた気がしたけど……さっきより濃くなってるわね」
 もう気温は涼しいというよりは肌寒い。昼はぽかぽかした日差しが涼しい風とあいまって、ちょうど良い陽気だったのに、とシルフィスは顔を顰めた。気をつけて、と、ラザルスに改めて言って。
「そうじゃな、はぐれリエラ以前に足元が危ないのう……」
 ラザルスがよいせと足元を探るように出て行くのを、二人は見送った。

「すごい霧。靄どころじゃないわね」
「今日は酷いのかな」
 真っ白の闇の中をカレンとジークは進んでいた。こちらも夜の見回りである。だが、口では困っているようだったが、二人の歩みは普段よりもわずかに遅いくらいだった。勘に任せて足を運んでいる割には、道から外れない。
「大丈夫か?」
 と、時折ジークはカレンを気遣っていたが、カレンのほうも問題はないようだった。
 二人はあてがあって歩いていたわけではなかったが……
 だいぶ歩いて、そろそろ引き返そうかと思ったところで、カレンがジークの袖を引いた。
「何……」
 ごく近くでも霧に遮られてカレンの顔も霞んで見えたが、何をしているかはわかった。静かにというように、口に一本指を立てている。
 その人差し指を口から離して、カレンはある方向を指した。その先を見ると白い闇に影が浮かんでいた。
「…………」
 ジークはカレンの手を引いて、今通り過ぎたばかりの木立の所に戻った。その影に身を隠し、影を観察する。
 怪獣の影との間には、だいぶ距離があるようだった。近づかないと、本当の姿形は把握できないだろう。霧が濃すぎる。
 遠くに音が聞こえる。足音らしい、重い音だった。

「音がするのう」
 ラザルスは考えた。
 音はリエラの能力を使わなくとも聞こえてくる。その場所を絞るために、ここであえて使うべきか否か……一回使えば、ラザルスのリエラは当分特殊能力を使うことができなくなる。
 その白い闇に浮かぶ影を見やり、その足音を聞きながら、ラザルスは考え込んだ。

●避暑地の朝
「うわぁ、湖っておっきぃね!」
 早朝、まだ靄もすべて晴れゆく前に、エリスとナギリエッタはひと泳ぎするために湖畔まで出てきた。その希望を出したのはエリスである。あまり人のいない時間に……と。
 昨夜の霧は少し薄くなっていたし、朝靄に遠くの風景は霞んで見えたが、日が昇っているからかそう視界は悪くなかった。近くにいる人間は苦もなく判別もついたし、ある程度離れても人がいるくらいはわかる。
 早朝の湖畔に人影は少なかった。少し離れた横合いで、釣り人がいる。釣り人の朝は早いらしい。朝食の魚でも釣っているのだろうかと思われた。
 ナギリエッタは岸まで走っていって、足先を水に浸した。
「ナギリエッタ、水……冷たいわよ」
 エリスがそういうよりも早く、ナギリエッタは声にならない悲鳴を上げて、足を引き抜いた。
「…………! じゅ、準備運動しなきゃだょね!」
 そうしてギクシャクと準備運動を始める。
「そんなに冷たいの?」
 その横で、エリスは水に手を浸した。
「これは……本当に冷たいわね。ナギリエッタ、やっぱり泳ぐのは水が温まる午後にしましょう」
「えー。じゃあ、別荘に帰るのかな?」
 少し残念そうにナギリエッタは準備体操を中断した。エリスはその顔をクスリと笑って眺めて。
「水に入らなくてもできることはあるでしょうから、そうしましょうか」
「うん!」
 嬉しそうにナギリエッタは跳ねた。そして、
「ボクね、スイカ割りがしたい!」
 と、手に持っていた紙袋からメロンを出す。
「スイカ……? なの? それ」
「えーと、海の遊びで目隠しして、棒でスイカを割るっていうのがあるらしいんだけど……スイカってよくわからなかったんだょ」
 ガルバスさんに聞いたら、さすがに大貴族の別荘の管理人だけあって、そんな珍しい果物のことも知っていた。でも知っているだけで、別荘にはなかったのだと言う。
「でね、これで代わりにならないかって」
 大きな丸い果物なら良いんじゃないかと考えて、メロンをもらってきたのだ。
「これも高価そうだけど……」
 エリスが値段を気にしている。
 野菜は新鮮なものが必要だから集落で作っているらしいが、果樹はあまり見かけない。少なくとも麓から運んできているのだろうと思うと、安いものではないだろう。
「……ダメ?」
 ナギリエッタが首を傾げて聞くと、エリスは少し黙ってからうなずいた。
「残さず食べればいいわね」
 わぁいと喜びながらナギリエッタは目隠しの布を出した。棒は落ちていた枝を使い、エリスに適当な場所にメロンを置いてもらう。
「最初はボクがやるね!」
 目隠しを自分に巻いて、棒を構える。
「えっと……こっちだよね」
 と、歩き出した方向は……なんと最初から45度ほど曲がっていた。
「ナ……ナギリエッタ、方向音痴?」
 エリスが笑いをこらえている。
「え、えー? こっちだっけ?」
 そして方向を修正して、さらにずれた。
 そのままどんどん進んで。
「あ、ナギリエッタ! そっちには釣りしてる人がいるから、行っちゃダメよ」
「釣り?」
 釣り人は、針を振りかぶったところだった。
「釣り針が」
 危ないから、と言い切る前に。それはナギリエッタの水着を引っ掛けて、引っ張った。紐で結んだだけの水着は案外簡単に外れて――
 見事、水玉模様の一本釣り。

「楽しそうですね」
 こちらは朝靄の中を往く、湖上のボート。靄に包まれた風景は、幻想的で美しい。
 フランは湖畔の悲鳴を「楽しそうな声」と受け止めたようだった。誰がいるかまでは気がついていたというのもあったかもしれない。湖上にはやはり靄が残っていて、詳細までは良く見えないのだが。
 そして大雑把には把握できて、細かいところは見えなかったというのが、一緒にいたエグザスには幸いだっただろうか。静かに方向転換して、遠ざかることにする。
「釣りをしてる方もいらっしゃいましたね」
「そうですね……レディ、釣りをなさったことは?」
「いいえ、機会がなくて……エグザスさんは?」
「それなりに」
「じゃあ、今度教えてくださいませんか?」
 日傘を揺らして、フランは微笑む。淑女に化けた細雪を除けば、この高原の雰囲気に一番馴染んでいるのは、やはりフランだろう。
「喜んで。午後はサウル卿のところまで行ってお茶会だそうですから、朝食が終わった後にでも、少し準備をしましょうか……そういえば、そろそろ戻りましょう」
 朝食の時間になりますね、と、エグザスはまたボートの向きを変えた。

 カルロはまだ部屋から出てこなくて、朝食でもその椅子の上にはロザリアが寝そべっていた。
 ラザルスは朝から難しい顔をしていたが、朝食の途中で吹っ切れたのか、午後にサウルの借りている別荘に茶会をしに行くと周りに話を始めた。
「ラジェッタちゃんも行くでしょ?」
 シルフィスが誘うと、ラジェッタはうなずいた。
「うん、ラジェもいく!」
 ラジェッタはレアンに会うために一緒に来たようなものだ。来ているという話は、事前に連絡があって知っている。
「私も行っていいかしら?」
 そう言って、ロザリアがテーブルに手をかけ、顔を出した。
「かまわんじゃろが……カルロはよいのかの」
「夕方くらいまで動けないもの」
「自存型の一人歩きは違反じゃが……」
 ラザルスは言葉を切って、ちらりとマイヤのほうを見る。
「猫を一匹、道の途中で拾っていく分には問題ないかもしれんのう」

 そして朝食が終わり。午前中に出かける者たちはまた別荘を出ていった。
 昼、そして午後までにはまだ時間がある。
 昨日の到着は夕刻前だったので、調査を始める者にとっては、本来ここからがスタートだった。

●避暑地の調査
「まず、ここですね」
「集落にも近いですのね、こんなところで」
 マイヤと共に細雪は、怪獣に破壊されたという痕跡を確認しに来ていた。
 林の向こうには民家が見える。拓けた場所には日々別荘に供給されている野菜の畑があったり、家畜小屋があったりする。そんな場所の近くに、痕跡の一つはあった。
 倒れた樹はもう退かされているようだった。危険のないよう切り株になって残っているが、そのままではないのだろう。十アースほどの間には、倒れないまでも樹が傾いていたりする場所があった。
「これは爪の痕でしょうか」
 樹の一つにえぐったような痕を見つけた。
「そうかもしれませんね」
「樹の倒れた痕や、家屋の破壊された痕を、もう少し見たいと思います。これは爪の痕に見えますし、リエラの攻撃で倒れたにしては樹の倒れた範囲が狭いですが……」
 見た目の上では、まさに怪獣が巨体で樹を倒した、という感じが強い。
 だが、それが強すぎるのが、細雪にはかえって奇妙に感じた。
「この狭い範囲にしか痕跡が残っていないのは、やっぱり奇妙ですわ。怪獣はどこから現れて、どこに消えたのでしょう?」
「突然現れ……突然消えたということですね」
「この傷痕は本物に見えます。なら実体はあるのでしょう……消えたのではなく、目立たなくなったのかもしれません」
 次の場所に向かいましょう、と、細雪はマイヤを振り返った。

「うーん、うめぇ!」
 その頃、集落では、たった一軒のバーでガッツが名物のアイスクリームを食べていた。
 ここで取れた新鮮な卵とミルクとはちみつと砂糖で作られた、冷たくて甘いお菓子だ。夏場に冷たいものが食べられるというのは、最高の贅沢だと言っていいだろう。
 それにさらに持参のはちみつをかけて、食べているのだ。
「別荘の食事は豪勢なんだろうが、どれも美味くなくて……」
 と、ガルバスが聞いたら涙に暮れそうなことを言うが、ガッツにとって美味いは甘いと同義なので、これはやむをえないか。
「夏にこんなのどうやって作ってるんだ?」
「秘密だよ」
 と、店の親父はにこにこ笑って言った。
「まあ、氷室があるんだよ。夏でも氷が溶けないのさ。食料もそこに貯蔵しておくんだ」
「氷室って大きいのか?」
「昔は遠くにある天然の氷室を使ってたけどね、今は便利になったんだよ。最新型の蒸気氷室を買ったんだ」
「じょ、蒸気氷室?」
 蒸気と氷室は多分、逆のものじゃないのかと思ったが……科学は不思議なものらしい。
「氷はね、たまに取りに行かなきゃならないが。まあ、昔よりは楽になったなあ」
「天然の氷室は、もう使ってないのか?」
「……ああ、いや……氷を取りに行くときだけだね。2ヶ月前くらいに一度行ったけど、まだ残ってるから……でも、ひと夏は越せないかな。もう一度取りに行かないといけないかなあ」
 アイスクリームのはちみつがけを口に運びながら、ガッツはふーんとそれを聞いていた。

「こちらは空き巣の被害に遭われたお宅と聞きましたが……」
「あ、ちょうど良かったぜ!」
 エグザスが別荘荒らしの被害に遭った別荘を訪ねていくと、先客がいた。ソウマである。
 何がちょうど良いのだろうと思いつつ、絶句する。
 エグザスの別荘荒らしに関する聞き込みは、あまり芳しい進行ではなかった。サウルのいる別荘に立ち寄って、被害に遭った別荘を聞いたのは良いが、別荘荒らしに遭った当日の話をできる者はいないということもそこで聞いてしまったのである。
 そもそも被害に遭った別荘で、現在人がいる別荘はここ一つだけだった。他はこの夏は人が来ていないか、来ても被害に遭ったことを知って帰ってしまったという。
 狙われた別荘は、まだ住人の訪れていない別荘だったからだ。普通の空き巣とは違って、別荘地の住人はずっと別荘に住んでいるわけではないので、人のいない別荘を狙うのが常道なのだ。突然帰ってくる心配がないのだから、当然である。
 だから、正確にいつ荒らされたかを確かめる術は基本的にはない。厳密にはまったく方法がないわけではないが、個人レベルで自由になる方法ではない。
 そういうわけで、訪れたとしても、ちゃんと話は聞けないとは思われたのだが。
 だめもとで、人がいると言われた一軒を訪ねてみたところ……玄関先で、ソウマにちょうど良かったと言われたのだった。
「すまねえが! この家の主人に俺が怪しいもんじゃねえってことを説明してくれ!」
 ああ、やっぱり。
 そう思いながら、エグザスは重くなりそうな口を開いた。

「ここは、毎夜霧が出ますから」
 別荘荒らしが仕事をした時間はわからない。なので、やはりエグザスにできることは現場の調査だけだった。そしてソウマも同じことをしていたのである。
 人のいない別荘は調べていても誰かに目撃さえされなければ怪しまれることはないが、人のいる別荘で別荘荒らしの痕跡を調べさせてくれと言う者が来たら、まずは怪しまれるだろう。
 どうにか誤解を解いて、二人とも中に入れてもらった。人が住んでいる分、この家はもう別荘荒らしの痕跡はほとんど残っていなかった。
 当日の天候も、良くはわからない。荒らされてからしばらくして、ここの住人は帝都から避暑に来たのである。中流貴族に名を連ねる裕福な家だったが、主人も夫人も比較的おっとりとした人物であったのが、話を聞くには幸いしただろうか。
 天候は平均的に雨は多くなく、夕刻から夜、そして朝にかけては霧が出る。夕刻と朝は靄という感じだが、宵の口が一番霧が深くなるようだ。たまに綺麗に晴れて、星が見える日もあるが、それはごく珍しいことのようだった。昼は暑くてもからりとしていて、夜は暑苦しくないのが、この別荘地の人気の秘密らしい。
「ここが割られていたんですよ」
 裏に近いテラスのガラスが割られて、そこから侵入されたのだと夫人は告げた。手口は聞いていた通り、ごく普通の空き巣のもののように感じる。
「盗まれたものは、壁にかけてあった絵を数点と、仕掛け時計と……チェストの中にあったお酒。あと、なんでしたっけ、あなた」
「わしのお気に入りのディナーセットを持っていかれた……」
 少ししょぼんとした顔で、主人が答える。
「ああ、そうでしたわね。宝石類は置いておりませんでしたので、盗まれませんでしたの」
 高いものを持って行ってはいるが、中にあるものをすべてごっそりというわけではないらしい。あまり大きくなくて、捌きやすい調度品が狙われたのだろう。
 話を聞き終えると、その別荘を辞して、エグザスは一応次の現場に行くことにした。
 すると、ソウマも同じ方向へ歩き出す。
 どうやら次の目的地も同じようだった。

「ふむ。怪獣を見たのは、やはり近づいてのことではないのじゃな」
 連理もアイスクリームを食べながら、話を聞いていた。
 ちなみにガッツは、まだその横でアイスクリームを食べている。だんだんはちみつの量が増えているらしい。
「……酒蔵に行くときに見たんだがね。そりゃあ、近づこうとは思わなかったさ」
 正直、興味はあったと言う。レヴァンティアースに住んでいてリエラを知らぬ者はいない。初めは誰かがリエラを出しているのだろうと考え、なんて大きなリエラだと思ったと言う。
 そしてここで誰かがリエラを出しているのなら、別荘に来ている誰かだと考えた。何故リエラを出しているのかはわからなかったが……リエラを持たぬエリアがリエラの暴走に巻き込まれたという話は古今東西枚挙に暇がない。この国で親から子になされる『しつけ』の第一は、意味もなくリエラには近づかぬことだ。バーの主人は、それを忠実に守ったのだという。
 その話に連理は少々複雑な顔を見せたが、この国ではそうやって両者は共存してきたのだから、口を挟むべきではないだろう。
 問題は、その話の続きだった。
「翌朝行ってみたら、樹が倒されていて、巨体の歩いた跡があった。リエラを出すのはおっかないからやめてくれとは言い難いが、しかし、林を荒らされるのは困るんだ。ここは別荘地だからね、一人の所有地じゃないんだから」
 そのときはまだ夏とは言えない季節で、別荘にいる者も少なかった。集落で会合を開き、別荘を一戸一戸訪ねて回り『犯人』を探して、もうやめてくれるようにお願いすることになった。
「だが――」
「犯人はおらなんだのじゃな?」
「そう。別荘に来ている中で、フューリアはそのときで3人いた。3人ともに自分のリエラを呼んで見せてもらったが、誰のリエラもそんな巨大な姿じゃなかったんだ」
 では、あの巨大なリエラは何か……といったとき、浮かんだのははぐれリエラの話だったというわけだ。はじめは別荘地の悪評になるので、報告はしないでおこうかと言っていたのだが。そして何度か怪獣の目撃談が繰り返されるに至り、別荘荒らしも現れて、そのついでに帝都に対して通報するに至ったわけらしい。
 アイスクリームを口に運びながら、連理はふむとそれを聞いていた。

「ここだな」
「そうみたいね」
 ジークとカレンは、昨夜見かけた影がいたであろう場所に来ていた。
 樹に爪痕が残っている。
「……爪痕か」
「ここ見て」
 カレンが下草を指した。草がなぎ倒されているのは、やはりある程度重量がある証拠だろう。だが……
「微妙だな」
「微妙ね……」
 ジークはカレンと、視線を交わしあった。

●避暑地のお茶会
 昼食をとると、フランの別荘からぞろぞろと大移動があった。昼食に戻って来なかった者はおらず、結局動けなかったカルロと、集落のアイスクリームが気に入ったらしいガッツ以外は全員がお茶会に参加ということになったようだ。
 調査をしている者には、お茶会の席で情報交換をとラザルスが誘ったのが、きっかけのようだった。
「情報交換は有意義だ!」
「そうじゃのぅ」
 もちろん、お茶会だけが目的の者もいたし。
「ラジェッタちゃん、お茶会終わったらクレイコートしようか。レアンにも来てもらってね」
「うん!」
 ただなんとなくという者もいた。
「エリス〜、お茶会の後は泳ぎの練習付き合ってね〜?」
「わかったわ」
 お茶会が終わったら遊びに行こうという者はそういう支度をして、調査に再度向かう者はそういう支度をして、サウルとレアンのいる別荘へ向かう。
「こりゃまた大人数だねえ……庭にテーブル出しておいたけど、足りるかな」
 ラザルスが持参してきたお茶とシルフィスが焼いてきた菓子をお土産に手渡すと、庭に通される。この別荘でもパーティーが開かれることはあるのか、庭と続きのサロンはそれなりの広さがあるようだった。
 レアンはもう庭にいて、椅子に座っていた。
「おじちゃん!」
 二年前よりは背の高くなったラジェッタが走っていく。
 とりあえずは和やかに、お茶会は始まった。

「どうぞ」
 優真がお茶を配っていく。
「調査は進みましたか?」
 そう話を振られて、連理は自説を展開した。
「怪獣とやらは実体のない影を霧に映しているだけではないかのう。やはり、少し聞き込んだ限りでは近くで姿を見たことのある者はおらんようなのじゃ」
 形を変えるのはそのせいではないか、と言う。
 お菓子を頬張りながら、ナギリエッタも言う。
「犯人は別荘荒らしだょ。騒ぎで人が近づかないようにして、仕事をしやすくしたんだと思うょ。樹が倒されたのは工作だょ。夜しか影が出ないのは、そこで仕事中だからかな。怪獣が出たら、近づく人はいないからね。リエラなら実体化してるはずだから、他の痕跡も残るはずだし」
 簡単なことだから興味がないとナギリエッタは言い切ったが、それに細雪は異を唱えた。
「痕跡は残っていますわ」
「ぇ……そうなんだ」
 樹が倒されただけでなく、目立たないが爪痕が残っていたことを細雪は告げた。
「では幻影ではないのじゃな」
 別荘荒らしと怪獣にはなんらかの関係があると思った者は多かったようだが、怪獣は幻影と思った者が多かったようだ。それはきちんと自分で現場を調査した者によって、完全な幻ではなさそうだと否定されることとなったが。完全な幻ではないだけの痕跡は、残されているようだった。
 別荘荒らしと怪獣の両者の関係については確かに、優真があらかじめ調べていたように出現時期の最初は多少のずれはあるが、一致している。ただ、ナギリエッタの言うような別荘荒らしの現れた日と怪獣の目撃された日が同一であることは、今のところ立証できない。これはエグザスが調べたように、別荘荒らしの発生した日が特定できないからだ。
「俺たちも昨日見たが、あれは幻じゃないな。午前中、昨日の痕跡も確認してきたが……実体はある。ただ、見た目の図体ほどの体重はないかもしれないな。軽いというほどじゃないが……あれは幻じゃなく、変化じゃないかと思う」
 足跡が軽いのだと言う。今までも足跡は注目されていなかったが、どうも音はそれなりにするが、がつんと凹みが残り続けるほどの体重ではないのかもしれないと言った。後、林の中の下草の多いところを選んで歩いている節があるとも言う。はっきりとした足跡を残したくない……急に消えたと思われたくない工作なのかもしれなかった。
 そしてジークは言いながら、ラザルスを見やっていた。
「あー……すまんの。すまなんだ」
 ラザルスは鼻の頭をぽりぽりと掻いた。
「どうしたの?」
 シルフィスが訊ねると、ジークが答えた。
「ラザルスと俺たちは同時に同じ影を見たようだが……俺たちは通常の召喚リエラだと思ったんで、操ってるフューリアを探してたんだ。疲労してリエラを送還したところを捕まえるつもりだったんだが」
 しかしラザルスがリエラを召喚して能力を使い、そのデメリット発動の音…正確には自爆の気配によって、相手が先に近くにいるフューリアの存在に気がついてしまったのである。
「それで、逃げられた」
「あら……」
「フューリアがリエラを召喚していることはわかったのじゃが」
 しかし、そんなことは能力を使うまでもなくジークたちは把握していたのである。能力を使って、それだけで得したことはなく、ラザルスにはそれで逃がしてしまうという失態だけが残ってしまった。
「仲間が近くで仕事中だとも思わなんだので、そういうのも聞かなかったしのぅ……」
 おそらく望めば聞ける範囲だったろうが、範囲すべての音が見境なく聞こえると混乱してしまう。遠隔視聴の能力は望むものを望むだけというのが基本だ。後は精度と広さの差である。
「だとしますと……あちらも調査が入っていることに感づいた。それを悟ったということですわね?」
 そこで、細雪が重要なことを指摘した。
「もう仕事はしないでしょうか……? あるいは最後に一仕事……?」
 派手な仕事はもうないだろう。あっても、最後に一回か。後は逃げる算段だけだ。
 お茶会が、しんとした。
 どうも思っていた程には、時間は許されていないようだった。

 そんな中、ソウマは一人、サウルを捕まえて近隣の別荘の配置を書き込んだ地図を見せてもらっていた。
「……これだ!」
 ソウマにとっては、周りの深刻な様子もどこ吹く風だったようである。

●避暑地の昼下がり
「クレイコートなんて、何年ぶりかも思い出せないんだが」
 クレイコートのラケットを握って、レアンは微妙な顔をしていた。まさかこの歳になって健康的にクレイコートに興じるとは思わなかった、という顔だ。
 だが、クレイコートに向かって走っていくラジェッタは、レアンの戸惑いをよそに懐かしいおじちゃんと一緒に遊べるとあってはしゃいでいる。
「できないわけじゃないんでしょ?」
「学生時代にはな」
 レアンを連れ出したのは無論シルフィスだ。サウルと優真ににこやかに送り出されてきたが、そんな健康的な『柄』ではないということが戸惑いなのだろう。
「せめて釣りとかな……」
「釣りは駄目ね」
「なぜだ?」
「今、釣り場に近づくと馬に蹴られるからよ」

「っ…くしゅっ!」
「まあ、エグザスさん、お風邪ですか?」
 釣り場で糸を垂れていたエグザスは、急にくしゃみの発作に見舞われた。それを隣で同じく釣り糸を垂れていたフランが心配そうに覗き込む。
「いえ、風邪などではないと思うのですが」
「ご無理はなさらないでくださいね……あ、糸が!」
「引いてますね。慌てないで引き上げてください。釣れたら、持って帰って調理してもらいましょう」

「……よくわからないが」
「まあ、2ゲームくらい付き合いなさいよ。ラジェちゃんと私と」
 クレイコートのコートの中で、ラジェッタが二人を呼んで手を振っている。
「おじちゃん! シルフィスおねえちゃん! 早くやろ!」
 それを見やって、レアンは微かに笑った。
「まあ……わかったよ」

 レアンを送り出したサウルと優真は、その頃湖畔を歩いていた。とは言え二人きりではなく、シャルティールも連理も一緒だ。
「出てきてよかったんですか?」
「まあ、昼間は調査だけだしね。僕はほとんど留守番だけだし」
 少しくらいは平気だと、優真の問いにサウルは答えた。
「おぬしはちゃんと働いておれば良いものを」
 連理が少し不満気に言うが、まあまあと優真がなだめる。
「まあよいわ。せっかく出てきたのじゃからの、怪獣の残した爪痕から妾が予知をしてやるのじゃ。次があるかないかは重要じゃろう?」
 しかし、湖畔には痕跡はない。痕は皆、もっと奥の林の中だ。
 そこに行くまではぶらぶらしながらでも良いだろうと、今度は逆のことを言う。
「優真! 水が綺麗じゃ!」
 湖の水は澄んでいて美しい。連理は水際に駆けていって、水を掬おうと手を伸ばす。
「あ」
「連理さん!」
 水際の草は滑りやすいらしい。
 連理はつるりと足を滑らせて、足が水に入って傾いた。そこで止まったのは、優真が支えたからだった。
 だが、代わりに優真がそのまま水に入ってしまった。サウルも手を伸ばしたが、間に合わない。
「優真!」
「優真……」
 水際で浅瀬なので溺れるようなことはないが、手から入ってしまって服は濡れてしまった。
「あら……」
「優真っ、そ、そのまま立つでない〜!」
 サウルと優真の間に、連理は慌ててわたわたと割って入る。
 白い夏用のワンピースが水に濡れて透けて、身体の線が見えてしまうからだ。
「……まあ、これを着て」
 サウルが苦笑しながら、着ていたカーディガンを脱いで、まず連理に渡した。それを優真に渡せというように指し示す。
「一度戻ろうか。怪獣の出た現場には、出直しても夜には間に合うよ」
 優真は連理に渡されたカーディガンを羽織ってから、岸に上がった。
「そうですね。着替えたほうがいいかも……連理さん、すみません」
 もうそのときには、サウルは背を向けてすたすた歩き始めている。
「妾は構わぬのじゃが……なんじゃ! サウルは冷たいの。とっとと行ってしまいおって」
「連理さん、そう怒らないで……でも」
 サウルが待っていて優真を見ればきっと助平だと連理は騒いだだろうが、行ってしまえばしまったで怒る。そんな連理をなだめながら、サウルの後姿を見て優真はくすっと笑った。
「何を笑っておるのじゃ、優真」
「いいえ、紳士も大変だと思っただけです」

●避暑地の夜、再び
 次の夕食時には、やっとカルロが部屋から這い出してきた。
「やあ、やっぱり普通に食べる料理は美味しいね」
 今夜のメインディッシュはフランとエグザスの釣ってきた魚だ。シルフィスがガルバス夫妻とシェフを手伝って、豪華な食卓を飾っていた。
 それが終わった後は、カルロはガッツと一緒に部屋に引っ込んだ。……とは言え、二人が怪しい仲だとかいうことはない。
「それで、盗まれた絵とか、そういうのを探してほしいんだよ」
「なるほどねー」
 探し物の相談だ。
「多分集落の中のどこかか、話に聞いた氷室? とか、そういうところにあるんじゃないかと思うんだけどな」
「大体絞れてるんなら楽かなあ。じゃあ、始めようか」
 やっとカルロが抜け出すことができたベッドの上で寝そべっていたロザリアが、大口を開けてあくびをして起き上がった。
「懲りないわね、カルロ。まあ、いいけど」
 そしてカルロの長い一日が、また始まる。

 また夜が来る。その夜は、怪獣の姿はなかった。
 昨夜怪獣を見かけた場所から少し離れた場所に、別荘が建っている。
「――人が――来たら――」
 ひそひそ、話し声がする。
 人影が三つ、近づいてくる。
 そして一人が表に残り、二人が別荘の裏手に回る。
 そこで二人はテラスに近づき、鈍器のようなものをテラスのガラスに向かって振り上げた――
 ところで。
「来たなぁー!」
 横の茂みから、ざざっと黒い影が飛び掛ってきた。
「うわあああ!」
 悲鳴はガラスを割ろうとしていた男のものである。
 二人は慌てて逃げようと、表に向かって走っていく。
「な、なんだ!?」
「人、人が裏に」
 そこで、表の見張りに残っていた男の後ろに隠れるように、男二人は回り込んだ。
 見張りの男は交信を上げ、その前に大きな影が現れる。まず現れたモノはそれだけでもだいぶ大きな姿をしていたが、一拍置いてさらに大きくなる。
 追手来る突然現れた男の影を脅すように、それは向かっていった。
 しかし――
「おおおおお!」
 怯むことなく、男はそこに突っ込んできたのだ。
 そして怪獣をかわし、迷わずその呼び手に突っ込んできた。
「うわあ!」
 そして押し倒す。突っ込んできた男は握っていた何かを、押し倒した怪獣の呼び手のフューリアの口に突っ込み、呑み込ませた。
 怪獣は振り返ったが――
 隠れていた男二人は頼みの怪獣が妙な動きをし、とうとう消えてしまったのを見るや形勢不利と見て、慌てて逃げようとした。
「貴様らも待てっ……!」
 フューリアを押さえつけていた男が飛び起きて、追いかける。
「待て!」
 追われる二人は走って逃げたが、追ってくる男は諦めない。
「逃がすか!」
 そして、逃げる二人の目の前にさらに二人の人影が飛び出してくるに至って――男たちも諦めたようだった。

「ソウマ、他には?」
 ジークは一人の手をひねりあげながら、追いかけてきたソウマに訊いた。
「向こうの別荘の前で寝ているぜ!」
「寝てる……? 殴ったのか?」
「いいや! 俺はサウルから学習したんだ! フューリアをおとなしくさせるのに、眠り薬は有効なんだぜ!」
「……なるほどな」

●解決の後で
 別荘荒らしの犯人は別荘の一つに一人が管理人のふりをして潜んでいて、集落のバーの主人が協力者だったということだ。たまにバーの主人が麓に取り寄せた荷を運んでくる馬車の行きに盗んだ物を乗せて運び、仲間の一人が売りに行っていたようだ。
 実際に別荘荒らしをしていたのは三人で、一人がフューリアだった。バーの主人は、最新型の蒸気氷室の支払いのためにお金が欲しかったらしい。
「カルロとガッツの言った通り、昔氷室に使ってた洞窟から盗んだ家財とかが出てきたらしいな」
 ジークとカレンの夜の散歩は、事件が解決してからも続いていた。
「もう売られちゃったものもあったらしいわね」
「そうだな……全部取り返すのは難しそうだが」
 霧の中を湖畔まで歩いていく。
「あ……霧が」
「晴れたな」
 すべてではなかったが、湖畔まで出ると切れ間のように薄くなっていた。
 ぼんやりと月が見える。
 湖畔に映る人影が一つになる。
 まだしばらく、避暑地の夏は終わらないようだった。

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