■神の言霊■

●古い痕
 かつて能力開発に使われた薬、『夜壌魂』。
 それはもう古い話であることと、アルメイスに入学してくる者は総じて家族から引き離されてくることの二点が、“冒険BOY”テムの考えた『薬の被害で亡くなった者の親族ならば、何か知っているかもしれない』、その縁者に話を聞く――これの壁であったようだ。
 家族ですら、アルメイスでかつて自分の子どもが、兄弟姉妹が、何をしていたのか良く知らない。
 それもある意味当然でもあろうか。知っていたなら、それで家族を失ったなら、黙っていられただろうか。
 黙っていられなかった者の末路を、テムもうっすらとながら、一人知っているはずだった。レアン・クルセアード、彼は、家族ではなかったが……おそらくは命を落とした誰かの友か、恋人であったのかもしれない。
 誰もが認める優秀なフューリアであった彼の末路は、国家に命を狙われた挙句に親友と殺し合い、そして敵国のスパイに身を落として命を繋いだというもの。だが生き延びられたのも、その優秀なフューリアの力があってこそ。なかったならば、早々に命を落としていただろう。
 ――つまり。黙っていられなかった家族は、やっぱりもう多分この世にはいないのだ。当時貴重とされていた力の強いフューリアさえも、口封じのために殺そうとしたのだから。その刺客に、惜しみなく貴重なフューリアを使って。
 その当時、フューリアは貴重ではあっても、所詮は道具だったのかもしれない。使い捨ての道具。その家族がフューリアですらないならば、何を躊躇うことがあっただろう。
 やっぱり、死人に話を聞くことはできない。
 探して探して、見つかる痕跡は国家が振るった暴力の爪痕をわずかに感じさせる事実ばかり。いや、それも、裏づけのないものだ。そう思って見なければ、結びつかない。そうして、きっと闇の中に葬られてきたのだろう。
 きっと、テムのように捜し求めた者も同様に。
「アバッテン、これは危ないことなのかな」
「……危ないだろう。だが、俺は止めはしないが」
「そうなの?」
 歩き回った帰路の夕闇の中で、テムがポケットの中のパートナーに語りかけると、少し意外な答が返ってきた。
「危険なことはすべきでないと言うならばそうだが、これ自体は絶対に手に負えぬというものではないからだな。自ら答を求めることも、勉学という意味では必要な行為かもしれない」
 絶対に手に負えない、危険なことはアバッテンも止める。それはテムに存在を依存するアバッテンが、自己の保存のためにするのだ。
「じゃあ僕の手にも、届くんだろうか」
 だが、それにはアバッテンは答えなかった。
 手が届くとしても、容易ではないということか。
 あるいは、そのための代償が要るということか……

 探し求めることも困難であったが、時間をかけて運良く見つけた者からも、望むような結果は得られなかった。
「……よく訪ねていらしたわね」
 テムとアバッテンが訪ねた家の婦人が、優しく少年を迎えてくれたのが、せめてもの幸いだっただろうか。
「そう、アルメイスからいらしたの……」
 婦人は懐かしそうに目を細める。かつて失った息子を、テムに重ねて見たのかもしれない。
 アバッテンはテムの胸ポケットに隠れていた。蠍の姿は、普通に驚かれるだろうと。
「あの……僕、亡くなった息子さんのお話を聞きたいと思って」
 前に置かれたルオティーのカップに視線を落として、テムは言った。自分で思っていたよりも、歯切れは悪かった。
「どんなお話かしら?」
 優しく、婦人は問い返した。
 この婦人は知っているのだろうかと、テムは内心に自問する。
「亡くなった時の……」
 少しの沈黙が流れ去った。
「……ごめんなさいね、よく知らないのよ」
 そう答える婦人は、少し困ったように微笑んでいた。
「あなたも親御さんとは別れて、アルメイスにいるでしょう? 私たちもそうだったから……ある日、突然、知らせが届いて。訓練中の事故だったと聞かされたわ。私が知っているのは、それだけ」
 本当は知っているのかもしれない。知らないと言っているだけなのかもしれない。真実を読み取るすべもテムとアバッテンにはあったが、辿った糸のいくつもが途切れていた事実を思い返せば、それを無理矢理に暴くには相当の勇気が必要だった。
 そして何も知らないと答えた人から、無理矢理に違う答を得たとして。表にはけっして出せないだろう。
 以前に調べたときと、同じ危惧が胸に迫る。確かにかつて、人の命など軽く扱う者がいたのだ。テムが得た答を表に出せば、その者にはやはり都合が悪いだろう。そのとき、危険に晒されるのはテム一人ではない。いや、フューリアでない者の口を封じるほうが、楽なのだから――
 アバッテンはポケットの中で身動き一つせず、テムも何も言えなかった。
 テムはルオティーを一杯飲み干して、婦人の住む家を辞した。
「あなた……ちょっと待って」
 その家を去るときに。
「これ、差し上げるわ。息子の遺品から出てきたのだけど、何に使う物かわからなくて……ずっと持っていたのだけど」
 渡されたそれは、色のついた小さな卵のように見えた。
 なぜ婦人がそれをテムに渡したのかは、わからなかった。

●神の御名において
 いくらかの時をおいて、テムは探す物を少し変えていた。求めていたのはアニムスに関わる伝説や、儀式の話だ。
 それもまた『夜壌魂』から端を発した発想ではあったが。
 深き淵へと誘う薬は、夜の名を冠した薬。力に渇いて、力を求めた者が溺れた薬。夢に堕ちて、戻れなくなる薬……それはある種の欲望を満たすようでいて、無限に満たされぬ道へ誘う薬だったのではないか。
 それは神に生贄を捧げるように。
 人の心が生み出した世界の裏側、深淵。そこは多分、エリーズと呼ばれベオリーズと呼ばれる場所。神々の御座す所。人の意識と知識と潜在意識そのものが、濃厚なスープのように溶け合う場所。そこで人の信念を知って、人の情熱に育まれて、人の根性に根ざして、人の勇気を持って、人の感性を経て、人の欲望に渇いて、人の愛を得て……人の自我に拠って。そこに神は生まれ神は御座し、名を得て神話となった。
 神は確かに存在する。フューリアの王でありラーナ教の古き司祭に、古えに召喚されたものがいた。それはある血筋に棲み続けて、現代にも蘇った。
 狂える巫師アルディエルが呼び出したのは、自我を司るイゾルド。
 ならば――同じように欲望を司るアニムスを呼び出そうと思った司祭がいたのかもしれないと――テムは考えたのだ。
 そのために生贄を要したのではないか、と。そういう儀式はなかっただろうかと。

 「ふむ。特別な薬剤の使用は知らないな」
 神学の教授はそう語った。
「だが、アニムスとの眠りの逢瀬を願う信者はいるね」
「いますか!」
 テムは勢い込んだ。
 だが、それを願ったところで、必ず叶うというものではないと言う。だから、儀式という形ではないと教授は言った。
「特にアニムスを強く信奉する信者なら、願うこともあるだろう。アニムスは夢に来訪する伝説を持つからね」
 アニムスは黒衣の少女の姿を取り、使いである黒猫を連れて、望む者の夢を訪れるという。そういう伝説があるならば、望む者もいるだろう。
 だが。
「しかしね、それは多くはないよ。アニムスは願いを叶えてくれる神ではない。満たす神ではないのだからね。逢ったからと言って、願いが叶うわけじゃない」
 アニムスの訪れを得た場合、どうなるかは諸説ある。そもそもただの願望の見せた夢か、真実夢の中へ神が介入したのかを判断することはできない。ほとんどは願望を形にした、ただの夢だとして。
「ただ現れるだけとも言うし、更なる欲望を植えつけて行くとも言う。問答から真理を得たという者はいるが……それは何かを与えるなんてアニムスの性質から逸れているから、ただの夢じゃなかったかと私は思っているね」
 確かな物はなく、それは夢を見た、夢をアニムスが訪れたと主張する者の言葉に過ぎない。
「逢っても何にもならないんだ……」
「あまり神学は熱心じゃなかったようだね。ラーナ教に与えてくれる神は居ない。神のあり方から何かを悟ったり、得る事もできるかもしれないが、それは我々が大いなる存在から掠め取ってこそ成るものだ」
 望みを自ら叶え、人が神の在りようすらも超えることが、ラーナ教の教義だ。
 ラーナ教の神々とは、何かを与える存在ではない。
 ラーナ教の神々とは、何かを捧げる存在ではない。
 逢いたいと望むのは単純に逢いたいという望みであって……
 だから、何かを望む儀式も、何かを捧げる儀式も存在はしないのだと言う。
 それによって、何の見返りもないからだ。
 そういう儀式はない、ありえないと言い切られて、テムは自分の予想が間違っていることを知った。図書館の本からも、間違いを裏付けるようなものしか出てこなかった。

「やっぱり間違ってるのか……」
 少なくともテムの考えた『生贄』に関する話は、どこからも欠片すらも出てこなかった。わかったことは、ラーナ教の神々は生贄などを求めないということ。
 狂信者が意味のない生贄を捧げることはあるかもしれなかったが、それはもう狂った犯罪者であって、信仰上の行動とは教会も国も認めないだろう。
 少なくとも、『夜壌魂』を用いたことが、あるいはその元となったのが信教に関わる『生贄』や『儀式』だったのではというテムの考えは間違っていたようだった。
「気が済んだか?」
 アバッテンがシャツの胸ポケットの中から語りかけてきた。
「……もしかして……アバッテンは間違っていることを知ってたんだ?」
「知っていた」
「酷いよ、教えてくれればいいのに」
「それが学ぶということだと思ったからだ。テムが大人になるには必要なことだな」
 返す言葉もなく、テムは黙り込んだ。
「ラーナ教に理解を深めることは、俺にとっては都合の良いことだしな」
「そうなの?」
「信者になるよう強制はできないが、ラーナ教の信者は勤勉だから、能力は伸びやすい。パートナーの能力の向上は、俺自身の力の解放にも繋がる」
 ふう、とテムは溜息をついた。
「全然見当違いだったのかぁ……」
「生贄だの儀式だの、はな。薬を使ってぎりぎりのトランス状態になろうとした、させていたのは事実だが」
 それは暴かれた真実でもある。だが、神に何かを期待していたのではないのだ。ラーナ教の信者は、そういうことはしない。あくまでも、自分の、個人の能力の向上が目的である。それが教義に合致することだからだ。
 意識の強さ、感情の強さが、フューリアの場合は能力の高さに繋がるケースが多かったので、脳に負担をかけても覚醒し続けようとした結果だ。意識不明は、その反動だろう。
「そっか……そういえば、これ、何だろうね」
 ズボンのポケットから、いつかもらった卵を取り出す。
「それは……」
 アバッテンは言葉を濁した。
「知ってるの?」
 テムは歯切れの悪いアバッテンを覗き込む。
「それも、自分で調べてみるといい。まだきっとわかる範囲だろう」
 けれどやはり、アバッテンは明言を避けた。

 神学の教授はラーナ教の司祭ではなかったので、テムは今度は司祭に話を聞きに行くことにした。
 司祭に訊ねたところで、今まで調べたことがひっくり返るような事実が出ることはなかったが……
「これ、何か知ってますか?」
 帰り際に、ふと思い出してテムは卵を取り出した。
「それは……奇跡の卵ですね。まだお持ちだったんですか?」
「まだ?」
 そう言って司祭は、テムの手から卵をすっと取り上げた。
「もう禁じられている物ですから……返していただきますね」
「禁じられて? いったい」
 慌ててテムは手を伸ばす。
「あの、それ、人からもらったものだから返してもらいたいんだけど」
「……ご存知ないのですか?」
 テムが卵について知識がないのに所持していたことに驚いたように、司祭はテムの顔を見た。
「それ、何なんですか?」
「本当にご存知ないんですね。言った通り、もう学園長から禁じられ、教会も従うこととしましたので、お返しすることはできませんが……」
 司祭は話してくれた。その卵は、ある感情を高める代わりに、ある感情を大きく磨耗させる……いわば、性格を変えるような特殊な薬剤の塊であると。
「感情の昂ぶりが、フューリアの能力を高めるので……以前、学園内にあった礼拝堂で扱っていたのですよ」
 危険な薬は学園長交代後、早い段階で駆逐されていたわけだが、その時点ではこの卵は残ったらしい。夜壌魂ほどには危険ではなかったからか。
 けれど感情や性格を偏らせた結果、これの服用は総合的には能力の低下を引き起こしたらしい。
「それで、禁止となったのです。生徒さんが持っているのはいけないことなんですよ」

 一時的に能力を引き上げ、しかしその代償を支払う薬。それがラーナ教の教会で堂々と扱われていた過去も、また事実だった。
「アバッテン、僕は正しかったのかな、間違っていたのかな」
 帰り道に、テムは呟いた。
 ラーナ教には、生贄も儀式もない。
 ただあるとすれば、力を求める願い一つ。
 その願いのために、ラーナ教徒は自らを生贄に捧げるのかもしれない。

 かの薬たちを服用した者に、神は囁くのだろうか――
 それは祝いの言霊か、呪いの言霊か。
 アバッテンの返事はなかった。

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